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【有頂天家族】最終回が最悪だった このエントリーをはてなブックマークに追加

第1話の前口上と同じものを最終回にもってきたが、おかげで危機感がなくなっている。
ここは低く重く静かな音楽であおって台詞は極力さける場面じゃないのか?
最終回のアバンだぞ?

最終回を見る1週間ほど前にヒックとドラゴンというアニメ映画を見た。この作品が余りに素晴らしく、恐らく今年見たなかで最高の映像作品だと思う。というのも、最後の15分…ラスボス戦で、それまで描かれてきた、父子の確執、竜と人の衝突、男と女の成就、個人の関係と、種族全体の方針、作中のあらゆる相反が、頭からっぽで夢つめこめるくらい何も考えずに純粋に見てるだけで楽しいアクションに絡まり意味をもって達せられる。これを名作と言わずして何とする。
有頂天家族も、設定の規模や笑いを重んじてる指向とは言え、作品の構成、作者が目指したものは同じものだったはずだ。
しかし、これまで全てが集積し結実したようにまるで見られない。
カメラと被写体の距離がどれも似たり寄ったり、構図も同じ、とにかくせせこましい。これらが限られているから、被写体が違うだけで同じ絵なので、やんや感、どんちゃん騒ぎ、なりふり構わぬ破綻、などなど作品が目指した祭りにまるでなっていない。
例えば、金曜倶楽部と狸儀式の両部屋をカメラが上から見下ろして両方の挙動を同時に見られる構図や、仕切りがなくなり部屋がつながっていたと登場人物が気づく場面で、部屋Aから部屋Bを見て驚いたキャラの背中からカメラが部屋AからBに移動する、あるいは背中しか見えないアップからカメラが引くと全景が見えてつながっていた、というように登場人物と視聴者が1体となれる演出が外連として必要だったのではないか。視聴者は登場人物よりも多くの情報を持っているから、驚きも勢いもなく、ただ間抜けを傍観させられている。

また、森見登美彦のお家芸である、まるで決まらない人が必死に決める口上も声優の演技のテンションが低く、これまで見せた会話の乗りで言われるために見せ場に見えない。卓袱台返し詭弁上等!御意見無用!にはもう苛っとした。
更に、登場人物が全て出揃い総力戦の中で流れる音楽が酷すぎる。これまで日常場面、または間をつなぐだけの捨て曲が採用されている。
両部屋がつながった最終決戦は、もっと派手で節操のない、それこそ和の打楽器に管楽器がぴいひょろぶうぶか、弦楽器が和音と細かいリズム、あるいは決めどころのメロ、などなど最終回のための最終決戦どんどこ曲が使われてしかるべきだろ。それが無い!

ためにためてきたツンデレ天狗師匠の登場も、まるで必然性が感じられない。なんだよあのただ部屋に入ってきました感…。ぐちゃぐちゃに乱れた場がようやく静まってきたところに最後の爆弾が投下された、という意味なのに、大爆発を思わせる迫力もなくただ爺さんがいきがってるようにしか見えない。しかも既に大爆発を恐れる人達はその場におらず、矢三郎の機転浮気の現場でございますも、既に白けた場所でやってるし、矢三郎が押す、弁天が転ぶ、の2つを定点の別カットで見せて、矢三郎の行動から弁天の行動をむすぶ動きにあわせたパンなどもなく、シーケンスが連続していない。原作の勢いを知っているからこそ、構成ではなく描写が悪いとわかってしまう。

最終回に限らず、定点の細切りカットが多すぎる。だから個人だろうが集団だろうがただの白けた絵ばかりになって抑揚がない。ドラマとアクションが同じ乗りで撮られている。登場人物の全員が無茶苦茶なのが売りなのに、低予算のドラマが如く作られている。ありえない。

弁天は最後まで良かった。
最初から最後までつかみどころのない自由で勝手でそそられる、いいキャラをしていた。個人的にはこの作品で唯一原作に勝ったキャラだと思う。能登麻美子が凄くいい仕事してた。
ただ、Bパートでやっと弁天がデレたのに、ツンデレ天狗の暴走がまるで暴走に見えず、実写にフィルタ通した背景だから、よりただ夜道に酔っぱらい爺さんが管をまいてるだけで天狗の再来感が無い。でも、ここの音楽は良かったと思う。この音楽をAパートの最終決戦で使えば良かったのに…。

海星は最後だけ良かった。
佐倉綾音の声は気に食わないが、あのキャラデザならしょうがないし、アニメ初見には抵抗ないだろうと思うので、そこは好みとしてあきらめる。
しかし、そもそも、9話だかで視聴者に姿を見せたの失敗だ。
のちのち、真実の告白で稲光によって視聴者には姿見える、という劇的な演出をしているのに、その前に萌え見よがしに姿を見せてるから、まるで感動しない。稲光で姿を見せて、人間の姿は回想で見せれば、父親の真実と海星のキャラ見せ相乗効果が得られたのに、もったいない。
ただし、最終回は良かった。矢三郎の正面に海星がいるのに、金と銀の影となって姿が見えない、そして最後に矢三郎には見えないが視聴者には見える2ショット。これは正直5億点。
矢二郎の電話も5億点。
8話の父と天狗の握手も5億点。

しかし、ここにもあそこにも天狗や狸がいる、という有象無象、魑魅魍魎、日常に潜む好ましいくせ者達、みたいなことを雰囲気は出したがっているのだけど、相変わらず会話と風景の撮りかたが同じで全然大人数や全景感が無い。
それと、EDなんだよあれ。
弁天の寝顔は5億点。
だけど、最後に金と銀とじゃれあってパンアウトって…全然最後っぽくないし、ひっぱるキャラが違うだろ。
曲は悪くないのに音楽とつかいすぎ、また使う曲を間違えている。
見られる絵の構図とカット割が全部同じで、奇麗な絵であっても連続した映像になっていない。
半分は意図通りだとも思うけど…。
原作から知ってただけに、今期リアルタイムで全部見た唯一の作品がこれじゃあ、やってられん。

是非とも、森見登美彦の最高傑作恋文の技術をアニメ化してくれ。集積と結実の構成リベンジに。



映画 [ 2013/10/02 03:53 ]

【有頂天家族】8話の父と天狗の握手でBD購入を決めた。やばいこれはやばい。 このエントリーをはてなブックマークに追加

やばいまじやばい。
絵コンテが素晴らしい仕事をした。
三郎達の演出は音楽がうるさく大仰でうっとうしいが、対比として、父と天狗の心得た大人っぷりがやべえ。演出がしっかりとわかってがっちりと作ってくれた。父に関しては原作を読んでたときにはピンとこなかったが、アニメになって現在と等しく描かれると、ちゃんと意味合いが強く見られて良い。
この握手は「やばいこれはやばい」と思って「やばいこれはやばい」と言って見てたら握手した瞬間に泣いてしまった。
この場面でBDを買うと決めた。
作品自体は気になっても全体的にくるものがなかったが、放浪息子の4話千葉さおり「愚鈍な才女に知恵と呪いをおさずけください」を見てBD購入を決めたのと同様に、惑星のさみだれが何となく読んでただけなのに6巻の花子と太朗の話で全巻購入を決めたのと同様に、1場面で全てもってかれた。

有頂天家族 父の発つ日

有頂天家族 父の発つ日

有頂天家族 父の発つ日

天狗が別れを惜しむ言葉を伝えるときに、横顔なのに画面奥を見ていて表情が見えない構図がたまらん。父を見る位置関係と視聴者への視覚効果の両立を果たしている素晴らしいカットだ。自分がそもそもこういう表情が見えない横顔や後姿の構図が大好きというのもある。海皇紀の「ルックアウト!前はいい後ろを見てろ!」とかたまらん。

その時、1匹の狸が狸鍋の中で瞬いて消えた。
その時、1つの時代が終わりを告げた。
総一郎、還らず。

映画 [ 2013/08/28 11:34 ]

【ガンダムUC】長靴をはいたミネバprpr このエントリーをはてなブックマークに追加

ミネバプラスVol.2

映画 [ 2013/08/27 13:13 ]