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現代社会に通ずる憑物への理解『憑霊信仰論』 このエントリーをはてなブックマークに追加

憑霊信仰論―妖怪研究への試み (講談社学術文庫) 小松和彦『姑獲鳥の夏』を契機に日本文化の盛衰、変化などの具体的な要素に興味を持ちまして、異邦人の記録から江戸後期から明治初期にかけて変化した日本文化が何を失い何を得たのかを考察する『逝きし世の面影』、赤松啓介の『夜這いの民俗学』などと併せて本書を読みました。
地方(場所,箇所)によってそれぞれ異なるものから類似点,共通性を挙げ、憑物と云う概念が日本文化においてどう作用していたのか、を明らかにしようと云うのが本書。
論文であるので当然なのですが、引用文とともに参考文献を記してあるので混乱することもなく、しかも類似点,共通性が主題であるので、敷衍した展開から素人でもすんなり読めます。
折角題材が面白いのに、その引用元が有るのか無いのか判らず是非の判断が出来なかった『あやつられた龍馬―明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン』を読むと学者的な記述(情報源,参考文献と論旨の関係性)の重要性を思い知ります。
憑物と云う物質的(具体)にありえない抽象的概念が、どうして表現上だけとは云え現代にまで通じているのか。
そして、もっと頻繁に遣われていた時代には、具体とどう関連し、どういう意味だったのか。
本書を読めば、『憑物』が意味として通じなくなった現代の利鈍までに及び、様々な文化的理解の助けとなるでしょう。
印象深いのは、本書『憑きものと民族社会』の締めくくり。以下本書からの引用です。
古い「憑きもの」信仰は、たしかに滅びつつある。しかしながら、本稿で垣間見たように、農村ばかりでなく、現代の都市生活者の、重層した形で帰属する複数の集団のそれぞれのなかにおいてさえも、衣を改めた「憑きもの」信仰がなおも生きているのをはっきりと認めることができる。人びとが他人を犠牲にしてでも自分自身の上昇を望み、その一方では他人の成功を苦々しく思い嫉妬を覚えるかぎり、広い意味での「憑きもの」はけっして人間社会から消滅することはないのではなかろうか。
『姑獲鳥の夏』は個人の問題を時代(社会)や装飾となる民俗学,妖怪に仮託した作品でしたが、上記の文言──憑霊信仰論の著者、小松和彦の言葉を受け、敷衍した理解を求めるのならば、社会主義的だった村社会から資本主義(都市)への転換。そして迷信を払拭せしめんとする科学認識ある今現在でさえも憑物を孕んだ社会(文化)であると理解出来ます。
憑霊信仰論―妖怪研究への試み (講談社学術文庫) 小松和彦 姑獲鳥の夏 (講談社文庫) 京極夏彦

Tags : 憑霊信仰論 小松和彦 京極夏彦 民俗学 講談社学術文庫 姑獲鳥の夏

書籍 [ 2008/01/01 00:00 ]