以下の記事を読んで感銘したのでちょろっと記述。
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「電話が嫌いだから、ケータイは持たない」――押井監督が語るケータイ論とは「クリエイティブな仕事の基本は、人を楽しませること。お金ではなく、手間暇さえかければ見つかる、人に見せるべき面白いものとは“人間”だ。――(中略)――自分だけの自分と、他人とかかわるときの自分の両方があって成立する。どちらか一方ではダメ。だから『あの映画を見た、これを知っている』と情報をさばくことではなく、『あの映画がこう面白かった、ここが良かった』ということが重要。モノを作るとか、人を喜ばせるとかは、面白いことを共感できる仲間がいないと始めることができない。その時、自分よりも才能があるヤツがいたら、そいつに作らせればいい。自分を捨てることで、自分が生きることがある。自分を捨てられる誰かと出会うことが、一番クリエイティブなこと」(押井監督)
これは僕の経験則だけれど、観たとか聞いたとか行きたいとかの話はされるけど、
観てどう思った、聞いてどう感じた、行って何を得たかなんて話してくれる、話せる人って意外と少ないんだなと思った。
説明(表現)しない、出来ないのは
個性を無視した差別だと僕は思う。無論、
説明(表現)しない、出来ないのも客観的な
個性(差異)ではあるけれど、思考,感想が言えない、聞けないならば
人間関係(ネットワーク)を無視した単なる自己陶酔に終わり、僕個人はそんな人とは関わりたくないと思う。
クリエイティヴとは撮影したり作文したり作曲したり映画や音楽や文学などの
作品だけに限らない。誰でも雑談くらいするでしょう。雑談するからには一言でも言葉を発するわけで、その
発言=表現であり、
表現=クリエイティヴだと僕は思う。
表現に努める人の話は、たとえ話題が聞き手にとって未知の対象でも、聞くだけで未知を既知に、そして
表現者である
その人の
指向を知る、と云う
人間関係(ネットワーク)の基本、根本を有意義にする。
引用文や
小説家を志すあなたが、「夜がきた」と書いてはいけないワケのように似た指向、記述は幾らでもあるでしょう。その割には受け入れられていない、と僕は感じています。
クリエイティヴ(表現)とインタラクティブ(双方向)って入出力,送受信と云う意味で同じだと思うのですよね。このネットの時代に、ネットを利用出来る環境にありながら燻っている人を見ると、なんとなく寂しい。
なんて事を書いたり考えたりしていたら、
スカイ・クロラは
原作が肌に合わなかったので見送っていたのに、先日
人狼を見直したのもあって観たくなってきた。DVD待ちだけどね。
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