理屈や論理を「冷たい」だの「それは人間らしくない」だの未だにそんな的外れな発言をする人を見かける。
では理屈や論理に人間性を見出せない人は人間以外が理屈や論理を発してるのを見たことが聞いたことがあるのだろうか?
1+1=2という具体は存在しない。
具体を抽象し数字という理論と加算という論理(理屈)で置換,整列させ
人間同士で共有するために理屈,論理という概念が存在する、作成された。
つまり人間が人間のためだけに行動するのが理屈,論理なのだ。
言語,文字教育を受けてない環境ならともかく、その両方を扱う人間は既に言葉(文字)という理論と文法という論理を実践していて、言葉,文字こそが人間がする抽象の最たるものであり、理屈や論理に人間性を見出せぬのは「呼吸をせずに息をする」ようなもの。前提からして間違ってる、無理解なのだ。
先日
議論に対する無理解と誤解を書いたし、似たような記事や意見は幾らでもあるだろうけど、自分の周囲にこういった愚昧が余りに散見するので今年最後の日でもあるし真面目な記事を書いてみた。
インターネットにより言葉,文字,理屈,論理の差異と利鈍はますます拡散していく。
それら情報の有無は1個人でなりたつようになってきている。
だからこそ、前提と後続,記載と言外の認識と判断にもっと気をつけて理屈や論理が組まれると更に面白くなるのになあ。