さて1箇月後にはアカデミー賞があり楽しみだが作曲賞にノミネートされてる
INCEPTIONの
Hans Zimmerは恐らく受賞しないだろう。とぼやきつつ
The Dark Knight信者であり
Hans Zimmer大好きでもあるのでまたぞろ
The Dark Knightの最後の場面で流れる曲
A Watchful Guardianを聞いて思った。
この曲は完成されている。
The Dark Knight Soundtrack- A Watchful Guardian
こいつ何を言ってるんだ、と思うかもしれないが、自分はメロが強い曲が好きで菅野よう子や浜渦正志などもよく聞くのだが、メロが強いと言うことは伴奏と分離しているわけで、メロ,伴奏,メロの音色,伴奏の編成はそれぞれ別問題なのだ(実際にはそれをまとめるのが編曲であるが)。
メロが強いと、例えば速いテンポ遅いテンポ,派手な伴奏地味な伴奏と言った選択肢もあり、1曲でありながら様様なありかたが許される、求められる。
例えばピアノ1本やアコギ1本、あるいはフルオーケストラあるいはシンセのみ等等。
それに対して
The Dark Knight Soundtrack- A Watchful Guardianを耳コピしてピアノでひくとしょぼい。
それは和音数や演奏者の俺の腕がへたれてるとかいう話ではなく、曲のテンポやリズムは単純でありながら、特定の音色と特定のテンポ(リズム)でしかその曲の厚みなり格好よさなりが出せない。
長音のクレッシェンドはピアノでは無理だし、ただ拍頭で4拍鳴ってるだけどDmもこの音色だからはえるし、また蝙蝠の羽音のような12音階外の音まで駆使している。
同じ
Hans Zimmerの曲でも
He's a Pirateなどは激しいメロと厚い和音になりたっており、管弦楽でなくともちゃんと格好よく聞こえる。
昔
Trafficという映画を観た時に、それは
エンディングがシンセパッドの和音だけでなりたっててなんじゃこりゃと思ったものだが、思い返すとあれゆえに作品の悲哀がよく表れている。
優劣の問題でもないし、個人的にはメロが強い曲のほうが好みだ。
しかし反面こういったメロじゃないフレーズでなりたってる曲もまたすげえかっけえ。
代替のきかぬ編曲こそ完成された曲、と考えられるなあ、とアカデミー賞を楽しみにしつつ自明をつらつらと述べてみた。