デジタルと愛着。 - エンターテイメントで飯を食う、の続き、かも?
愛着と時間の関係って着眼は面白いけど、人の愛着って媒体を選ばないと思う。
確かにデジタルデータはアナログ写真のように色あせず時間経過を感じにくいのは事実だし、後者のほうが何かグっとくるのもわかる。
しかし例えば11月16日生まれの人は時計を見て11:16だったら「おっ!」と思うでしょ?
愛着と言ったって、実際には人は割とあっさり切り捨ててるもの。
それこそ50年前のある写真を見て何かを思い出し涙ぐんでも、その写真の存在を見つけるまではすっかり忘れてたり、50年間全く考えてすらいないって人ばかりじゃないか?
そもそも愛着って何?
年に1回は道具A→B→Cと世代交代のたびに買い替えてた場合に「愛着」は見出されない。
利得を度外視したのが愛着なのだろうか?
しかし先の時計の例でわかるとおり「自分への関係」にこそ人は愛着を抱く、つまり自分だけの利得を求めてるが故の愛着なわけで、これは「かわいい」と同じく「劣等」を認めた上での行動を愛着と言うのだろうか。
時代を問わず「どうしてもこれでなくてはならない」と実践しつづければ愛着だろうが、実際にはそこまで継続してる人なんてそうはいない。
例えば我々は呼吸という行動に愛着なんて持ってないし。