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理論の重要性を理解していないなど根本的にありえない。 あえて語るほどがないほど当たり前の事と言える。 このエントリーをはてなブックマークに追加

45:ドレミファ名無シド ::2012/02/09(木) 04:53:09.61 ID: f6zHmC7x (2)
理論の重要性を理解していないミュージシャンなど根本的にありえない。
あえて語るほどがないほどあたりまえのことともいえる。

音楽に限らず、不まじめな態度がかっこいいとされた時期がある。
ミュージシャンとしては、バイクを盗んだりガラスを割ったりするロックスターが出現した。
様々な背景のうちのひとつを挙げると、当時は社会が豊かになった反動で、理論の勉強なんかしなくてもいきてゆけるじゃんという思想があったのだと思う。
成熟し安定した社会に変化し、ときには衰退もあり得るなかでは通用しなくなった。
ひらたくいえば「ゆとり乙」だ。

また、あらゆる分野において理論が登場したことにより、庶民が理論を勉強することによって、あらゆる職業で成功の可能性が開ける。
士農工商は制度的に消えただけでなく、現代ではその名残すら消え失せた。
こうして、むかしからの伝統的な上流階級は衰退した。
ひらたくいえば「斜陽の没落貴族」だ。
このため、斜陽の没落貴族は理論を憎んでいる。

46:ドレミファ名無シド ::2012/02/09(木) 04:54:28.82 ID: f6zHmC7x (2)
むかしのミュージシャンのインタビューは、「ふまじめがかっこいい」という時代を反映して、雑誌上で加工されていたのだと思うし、ミュージシャン自身もあえてそういうポーズをとっていたのだと思う。

理論ってそもそも森羅万象、無意識の現象を含め体系化した概念だしね。
日本語を話して読み書きできる人は多くても、それを文節ごとに区切って、品詞別にわけて、と言われてさくっと出来る人がどれだけいるか…という。
日本ってアカデミックって概念がすっぽり抜けてる気がする。
自分もそうだったけど、就職のための大学という考えは今でも根強く、大学で得た経験と知識がいかように応用できるか、特定の大学名にひかれてもそこで何を学んでいたかを気にしない人の多いこと。
努力と苦労の履き違いというか。
努力と苦労の違い、って記事を書こうと思ってたらたまたま合致するようなレスを見たので…。
苦労は出来ない人間でもする。体力の無い人間が走ればその時間がいくらかかっても走ってる時のつらさは苦労だろう。
しかし100mを世界新記録まであと0.1秒という人間の練習も苦労ではあるが、問題の改善につとめている努力でもあるわけだ。
自分は複雑だが他人を単純化する怠惰の結果…という気もする。
分野によっては大学に行かずとも専門的な勉強って出来るし、割り切って踏み込む人もいるだろうけど。
日本は特に無意識の規範、強迫観念が強いその反動かもね。

未分類 [ 2012/02/09 15:41 ]