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『あの夏で待っている』9話の「切なさ」にほど遠い失恋の重要性と違和感 このエントリーをはてなブックマークに追加

あの夏で待っている9話が盛り上がって「切ない」と評判で、実際に作品は盛り上がってるし作者の意図と観客の感動は合致してるいい作品だと思うがどうにも違和感があり、またDVD買うほどハマってるメンタリスト(The MENTALIST)に抱いた恋愛面での不満とも通じるのでまとめて書いとく。

『あの夏で待っている』9話の「切なさ」にほど遠い失恋の重要性と違和感

谷川柑菜の人気は作者の計画通りだし、テンプレとわかっていてもやはりいいもんだとは思うが、彼女を中心とした失恋劇(主人公の両思いの布石)が物足りない。
何であの時間にそれぞれがそれぞれをつけてるんだよ…とかそういう突っ込みではないw
というのも、結局失恋した連中は数年後には別の相手見つけてどうとでも幸せになってるだろうと思える健全さと雰囲気で、失恋を優しい思い出として消化し失恋連中が失恋によって不幸になる姿が考えられない。娯楽作品における恋愛はそれが主軸ならその恋愛がキャラの人生を決しなきゃ駄目だろ。
同じ監督のとらドラでは登場人物がはっきりと自分達の年齢で人生は決しないという主張があり、あくまで作中はキャラの人生の経過だと示しているから良いにせよ、今作は主人公のカップルが感情とは別の事情で決別する可能性を示す設定と描写があり、それでも恋愛感情を中心としてるから一緒にしろ離別にしろ恋愛成就こそが肝要であり幸福であり売りであるはずなのに、幸福と対になる不幸、成就と失恋の関係が等しくないのだ。

メンタリスト the mentalist simon baker

さてここでメンタリスト(The MENTALIST)に話をうつす。
このドラマは主人公のパトリックがある傲慢な行動からレッドジョンという犯罪者の怒りを買い妻と娘を殺されてしまう。自身の愚かさを悔やみレッドジョンを探し復讐する、というのが本筋なのだが、このパトリックはイケメンで時折モテる描写がある。
そこでメンタリストの問題だが、嫁と娘を殺されもはや絶対に幸せになれない核心が作品の命題でありながら視聴率のためにちょこちょこ恋愛を匂わせる話があり矛盾が生じる。女性からの口説きを既に死んでる嫁との結婚指輪(薬指)を見せて「あいにく結婚してるから…」とかわして女性が去ったのを確認してから静かに指輪を指でなぞるすげえいい場面があるのに別の話でゲストキャラと恋愛をさせてしまう。
娯楽作品におけるヒロインは年齢や意図した設定でない限り処女が求められるし、男だってハードボイルド的な設定で恋人や妻がいたけど死んだ,殺されたって設定があるなら他の女キャラと恋愛しちゃ駄目だろ。仲間はいても安らぎはない、信用しても幸福は無い、そこが肝心じゃないのかと。
サムライチャンプルーの堕落天使も凄い好きな話だが、あれもジンがあんな情緒を見せておきながら次の話で簡単に女を買ってるとか見損なったぞw
花ゆめ漫画によくあるが、失恋したキャラに別の異性をあてがって救済するのがやっちゃいけないことだと思う。
特に恋愛が題材の作品であればこそ主人公の恋愛における幸福は揺るぎないものだし、そしてその幸福を支える脇役の失恋もまた絶対であり、ただその場でしくしく泣いて切ないなんて片付けて終わるならそんなもん最初からいらない。
もちろん失恋=不幸である必要はないのだが…失恋が作品や登場人物において肝心な場合に運命の相手なんて娯楽作品にしかありえないものを簡単に捨てられるならそれは脇役の失恋だろうが恋愛作品として破綻してはいないか。

未分類 [ 2012/03/09 17:37 ]