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ガンダムUC(4)の「撃てません!」から考える このエントリーをはてなブックマークに追加

主人公が大事な人を殺さなくてはならない状況の中で、ついには殺してしまうのと、結局は殺せずに眼前で別の何かに殺される、というのどちらが自分にきついか、くるかを考えてみた。
というのも、ガンダムUC5を見たときに、何か物足りない、ミネバに象徴される希望ある展開である良い話であったけれども、1つの話として確信を抱くまでの何かが足りない、それを考えたら4話の撃てません!に思い至った。

Gundam Unicorn 4 - Final Battle

原作を知らないままに言えば、あの一連がガンダムUCの最高潮、最終回ではないだろうか。
設定としては、相手を救うために殺す、相手を殺さないと誰か何か破滅する、おおまかにこの2種類があると思う。
そもそも、主人公が相手を殺せない、という場面自体は何ら珍しいものではなく、それを信念として描けるか、ただの日和に落ちるか、そこが作品なり作家なりのキモであり難しさだろう。
似た場面で印象深い作品と言えば、ドラえもん のび太の鉄人兵団もまた撃てないからこその悲哀と希望を孕み、名場面として今見ても泣けてしまう。
相手を撃つか撃たぬか、その葛藤、逡巡で1番好きな作品は人狼 jin-roh
これらの撃つ撃たぬ、殺す殺せぬ、の肝心なところは相手が異性である点。
必ずしも恋愛とは限らないが、憎み合うよりは、気にくわないのに求めてしまう関係である異性、というのが娯楽としても必要だと思う。
同性では漫画ゼットマンの第1話のド頭も凄くしびれた。
これらの設定、状況は、いずれ幸福のための不幸、つまりはカタルシスという名作には欠かせない要素であるし、それがわかりやすくも扱いにくい場面である。
作品の結末はどうあれ、この場面である人物と状況に限れば幸福はありえない、そこまた強烈なところだろう。
まったくもって結論もなければまとまりもないけど、とりあえず何かのとっかかりになるよう思いついたまま書いた。

感想(考察) [ 2012/05/21 00:38 ]