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【GUNGRAVE】は名作になりそこねた名作 このエントリーをはてなブックマークに追加

今更ながらGUNGRAVEを見た。

未プレイながらゲームが先で、内藤泰弘の作風も知った上で見たのだけど、これは素晴らしい作品だ、と感動すると同時に、どうしてこうなった、と何かくやしさが残る作品だった。

ブランドンは関智一のまんまなのに、ハリーは磯部勉と浜田賢二の2人を使ってる。2人とも素晴らしい仕事をしてるので、配役が不満じゃない。しかし、ブランドンとグレイヴの声が設定上ずっと同じってのは間違いないし関智一は実に素晴らしかったけれども、だからこそ浜田賢二から磯部勉への変化が作中時系列で間があるとは言え違和感がある。自分はゲームをやらず、題名や大体の設定だけを知ってアニメを見たのだけど、もともとハリーは磯部勉のキャラであり、アニメであとから磯部勉には若者無理だべってことで浜田賢二も使ったという経緯があるようだ。

作画が汚い話と奇麗な話が明らかで、ある意味で大事なとこだけに集中する大人の判断力、構成力を発揮してる反面、大人の事情が見え透いてる。

ドラマはとにかく素晴らしい。
自分は最初、ブランドンとハリーの決別は、ブランドンがマリアを愛したがビッグダディがマリアをチカラづくで奪い、ハリーは友情や恋愛よりも野心を選んでビッグダディにつき、ブランドンはビッグダディによってマリアとハリーの両方を失い、最終的にはハリーと決着をつける、みたいなのを予想していたが、ビッグダディが実に人格者であり、ビッグダディが登場する回でしっかりとブランドンや組織の問題や魅力が自然とあらわれている。
また、マリアとブランドンの関係も、ビッグダディが人格者だからこそ、ブランドンにとマリアのそれぞれの行動が実に納得いくものだし、マリアが女神的でありながら普通の女の選択に醜さがないし、マリア自体の出番が少ないながら、ゆえに出てくるところではしっかりとマリアのヒロイン性とブランドンとの関係を無駄なく見せている。今では少なくなってしまった成人系のヒロインだからこそ映えてみえるというのもある。井上喜久子がこれまたいい仕事してんだ。冬馬由美と井上喜久子はまだまだヒロインやれると思うだけどね。

ドラマとは別に、原作(原案)がゲームである流れのアクションだが、これが自分には全くなじめなかった。
九頭文治の初登場回で、銃を振り向かず腕だけを背中や首にまわして撃つ、という演出が実に陳腐に見える。
1話の段階では、世界観の説明をかねた銃のデザインやアクションだったから好みはあれど違和感はなかったが、2話以降でこれはある若者の愛情や野心、環境の不遇や打破などを描いたドラマなのだと示し始めてからは、そのドラマがよくできてるからこそアニメ(ゲーム)っぽい要素がことごとく陳腐にうつってしまった。内藤泰弘だから始められ、らしい要素がアニメでは足枷にしかなっていないという皮肉。
九頭文治が仲間になったあと、張り込んでる対象の部屋に九頭文治では気づかなかったことにブランドンがあっさりと「いやいるぞ」と気づいて狙撃する、あの流れが実になめらかで格好よく説得力もあった。キャラクタの能力や立場の説明と娯楽としての効果を両立した完璧な場面だと思う。だからこそ、ずっとその路線で作られてたらもっとやべえ作品になってたんじゃないかな、と思った。もったいない。

個人的に1番好きな話が8話 FAMILY。
この話に、個人と集団、理想と現実、愛情と野心、制約と自由、過去と未来、この作品にとっての全てが入ってるといっていいと思う。
違う作品だが、COWBOY BEBOP信者の自分が思うビバップへの数少ない要素として、この8話(FAMILY)のような重くのしかかる物語が無い、ということ。ブラッグドッグセレナーデなんてまさにこういう話であってほしかった。次回予告で言うほど渋くも重くもおっさんハードボイルドでもなかったのが当時がっかりしたので。
本作は、ベアウォーケンが裏主人公といっていいかもしれない。自分はそういう認識。
ブランドンとハリーが現在進行の主人公するならば、ベアは完結ずみの主人公という感じ。実際にはあらゆるキャラクタがそういう対比で描かれてる群像劇なのだけど、ベアの印象強さはそれらを含んだ上での演出の結果だろう。
個人的に最高な8話(FAMILY)を見終わって、次の9話が原作ゲーム設定と帳尻をあわせていく展開になるのだが、そこで登場する新しい敵のSF設定が格好悪いし浮いてるしで笑ってしまった。
子安とハリーの対決とか、気配を消せるからって正面にるのにまんま姿が見えなくなるドラゴンボール展開とかも酷いと思った。笑ったけども。

アニメの核心とゲームの前提が、正直噛み合っていない、言えばゲームが足をひっぱてるとすら思った。
ずっとイタリアマフィア的な描写がうまく機能していたのに、いきなりグレイヴの銃や鞄のデザインが出てくると時代錯誤というかもうおかしいとしか思えない。
話が、黄金時代が終わって現代にうつったときの高揚は見事だったが、黄金時代のドラマがどっしりしてるために、現代の連中が変身して戦うのが、作画的にもあれだしコントだった。
あれだけ「ブランドン」という名前の人物を見せながら最終的な名前がビヨンド・ザ・グレイヴ()。
そういう意味では、構成力について先に書いたけど、黄金時代におけるブランドンとハリーの決別、EDを思わせる子供時代の走る2人、などやるべきところはしっかりと視聴者が思う以上の名場面として作られている。だから惜しいと思ってしまうのだけど、そういう意味でずっと作品の芯はぶれずに確信をもって作られていた。

自分としては、不死身とか漫画ドンパチを排除して、ここまで作るならもうドラマだけで銃撃戦ももっと誇張しながらも現実的な、COWBOY BEBOP ガンスリンガー・ガールのような感じで仕上げてくれたら、文句なくBD購入かつ布教するだけの作品だったのに。

感想(考察) [ 2012/12/13 18:53 ]