サイド・バイ・サイド(side by side)を見てきた。
本作は、映画の撮影と編集がフィルム(アナログ)からデジタルデータにうつりいく現代において何を失い何を得たか、をハリウッド映画の現場で働く監督らにインタビュウしたキアヌ・リーヴスがプロデュースしたドキュメント。
ただのドキュメントじゃなく有名な監督などに気さくにインタビュウ出来て一般客の気を引けたのはキアヌのネットワークだからこそだろう。
出演者については
公式サイトで見られる。誰か1人くらいは知ってる監督がいるだろうし、1人でも好きな監督がいたら見に行く価値はあると思う。
アナログとデジタルの利鈍については既に一般的なので、そこを素人にわかりやすく説明してる箇所が長くてだれたが、それぞれの監督と作品がどのカメラ(フィルムかデジタルか)を紹介したり、各監督がどちらが好みかを語ってるのが面白い。
短い1カットだけだが、セグウェイを利用した移動式カメラ機材の映像があって笑った。
作中で紹介されたフィルム(アナログ)とデジタルの利鈍についてまとめておく。
フィルム | デジタル |
高価 | 安価 |
撮影時間が短く、フィルム交換が手間で遅い。 | 撮影時間が長く、記憶装置の交換が容易で早い。 |
ダイナミックレンジ(DR)が大きい(色の数が多く暗い場所でも奇麗に撮れる) | DRが小さい。暗い場所に弱い。 |
画質が常に劣化し続けるが何10年と長期保存,再生が可能。 | 画質は劣化しないが保存媒体の寿命が短く急に再生できなくなる。 |
フィルムの回転や銀塩による人間が無意識に感じる動きにより静止した場面でも躍動を感じられる。 | データ読み込みによる映像の変化が無いので撮影意図をより反映させられる。 |
現像に時間がかかり撮影した映像を確認できるのが翌日。 | 現場(パソコン)ですぐ見られる。 |
合成や加工など編集が困難。 | 合成や加工など編集が容易。 |
撮影した映像がどういうものか、ジョージ・ルーカスが「(撮影現場の)モニタを見ればわかる」と言ったあとにクリストファー・ノーランに切り替わって「モニタじゃ駄目だ。観客は大きい画面で見るのだから自分(監督)も同じもので見なければ」と編集でつながれていて突っ込みに笑った。
役者の話としては、キアヌ・リーヴスがデジタル撮影は連続撮影時間が長くてつらい休ませろよ!と冗談まじりに言っていた。ジョン・マルコヴィッチは舞台出身ということもありフィルムの交換で撮影が止まるよりも長時間連続して撮影してたほうが演技の質をたもてると言っていた。
面白かったのが、ロバート・ダウニー・Jrが10時間以上の連続撮影で休みがないので現場に溲瓶を置いて「休憩」を主張していたという。
撮影監督というのはカメラマンではない。カメラとレンズの知識をもって、監督の意向にそった構図を求めて美術や照明などに指示する。
フィルムの時代は、撮影した素材を現像した品質、評価は撮影監督のものだった。技術と印象を両立させる技術屋で敬意ある立場だった(今でもそうだが)。しかしデジタルになり誰でも撮影と編集が可能になり撮影監督の立場(権威)が危ぶまれているとも。
フィルム時代には、ラッシュ(現像された映像を見る)で監督が撮影監督の手腕に感動することもあれば、逆に色やピンボケなどで「Fuck!」と思うこともあった、というのに笑った。
そういった手間などが無いデジタルカメラだからこそ、自主制作映画が賑わってきている。
映像も録画できるデジタル一眼レフカメラ
Canon EOS 5Dや
EOS 7Dにより安価で、映画用の大型カメラにくらべたら劣るものの高画質で撮影できるようになり、また操作も容易なので映画撮影は無理だと思ってたいた脚本家のレナ・ダナムはまさにデジタルのおかげで映画を作れた、と言っている。
自分も初代
EOS Kiss Xでデジタル一眼レフに手を出して、不満は無かったものの1080pが撮影できると聞いて
EOS 7Dを買ったのでとても共感した。
ダニー・ボイル曰く
28日後は1場面に10台のデジタルカメラをもちいて撮影した。画質はフィルムに劣るが、デジタルの画質、ある意味で誇張されない人間の目に近いコントラストが作品に臨場感を持たせた、そうだ。
28日後はアカデミー賞(撮影賞)を受賞している。
スラムドッグ ミリオネアでは子供が走るのをカメラが低い視線で追いかける場面にフィルムカメラの大きさと重さでは無理なので
SI-2Kというデジタルカメラにつないだ
MacBook Proをかついで撮影した。
ただしデジタルカメラにも問題あってパソコンと同じくソフト的にクラッシュする。また温度変化に弱く、猛暑の中で撮影してたらカメラが止まってしまい、氷をあててひやしながら撮影にのぞんだという。
デジタル派のジェームズ・キャメロンは、キアヌ・リーヴスに「コンピュータで作られたものは嘘っぱちだよね?」と煽りぎみの質問に対して、「でも君も知っての通り、撮影現場ではありもしないものをあるように演技したり、ニューヨークだと言いながら実際にはバンクーバで撮影してるじゃないか」と笑いながら映画撮影の本質を示し反論していた。
アバターは1/3がロケ、2/3がCGだが、その変わりにえらい予算と手間をかけた架空世界を構築した。これについては後述する
犬童一心の評価が面白いのでひとまずここまで。
デジタルカメラの利点は、撮影後の加工、合成が容易だということ。フィルムではフィルムAとフィルムBを重ねて合成するとどうしても画質が劣化する。
反面、フィルムを切り貼る後戻り出来ず現物の手応えある編集は、作業に緊張と集中をもたらしてくれる。
フィルムのほうが動作音や金額の問題で現場が緊張して集中できる、という精神的な利点もあげられていた。
上映後に
犬童一心という自分は知らない映画監督の対談があったが、これが面白くてフィルムとデジタルの利鈍について同じような事を語っていた。
デジタルで撮影,編集するようになって、あとでなおすから、ということになってきて現場での緊張感(映画的な感覚)が無くなってしまった。映画を映画にしているのは儀式と祈り。肌で感じられるロケや壊れたら撮りなおせないミニチュアなどによって得られる緊張(儀式)と、問題なく撮影が終わるように祈る、これが映画にとって必要な映画の要素なのではないか。
これは要約であって多少言葉は異なる。
自身の作品
のぼうの城では見せ場は予算と手間をかけてミニチュアで撮影したが、金がつきて冒頭の某はCGしてしまった、自分にとって儀式(映画に対する情熱?)が足りなかった、とも。
出来るだけフィルムと、CGじゃなくミニチュア(現物)撮影を実行するノーランの
ダークナイトに好評価だったり、しかし、デジタル(CG)万歳のジェームズ・キャメロン(
アバター)に対しては感情的かつ冷静な評価だった。
キャメロンはフィルム(現物,ミニチュア)じゃなくデジタル(CG)ばかりで作っているが、その技術によってどこまで出来るか、その技術そのものが作品となる情熱、予算と手間をかけているので、ただ「楽だから」という理由でデジタル処理した「儀式」の欠けた作家じゃなく、むしろデジタル自体が「儀式」である大馬鹿(褒め言葉)で大好き。
これまた要約であって多少言葉は異なる。
この映画自体がそうしめているが、素晴らしい作品への情熱があれば手段は問題ではない、という無難な精神論であると同時に、現場の当事者だからこその要点でもある。
この作品で最も面白い、素人が他では見られない点はカラリストだろう。
撮影と編集が全て終わった映像を、最後に映像の色やコントラストなどを調整していく作業、または担当者。日本の実写がしょぼく見える理由は、言えば予算になるのだが、撮影後のこういった手間(
ポストプロダクション)を軽視してるからじゃないからか。
ドラマや映画のメイキングを見るとわかるが、特典で見られる没場面などは画質が凄く汚い。良いカメラと適切な照明で撮影されたにも関わらず、まず汚く見える。それは完成品がカラリストによって仕上げられているからだ。そのカラリストの重要性について現場スタッフ語っている。
実はノーランが目的で見に行ったところがあるのだが、これが1番面白かった。というかやっぱりそういう手間をかけてたんだ、と何となく想像してたものにあてはまる明確な答えが示されて感動した。
また600円のパンフレットも素晴らしい。
出演者である監督や撮影監督の代表作品と、その作品に使われたカメラの種類まで記載されている。またこの映画自体に使われたカメラやインタビュウも。