ドラマの
THE MENTALIST(メンタリスト)
や実際の
インビジブル・マーケティング
などのモテ本や愛され云々の記事を見るたびに思うのだけど、
これらを応用した好結果に納得するには強くなければならないと思う。
自分は知識として興味があり調べたり読んだり、時には実践するけども、それが成功しても
統計による結果であって自分個人に向けた好意ではないと認識して、むしろ手段は継続しても対象に不信感を抱く。
つまり、
気をつかって好かれても気をつかってる自分を評価しているのだからその関係に疲れてしまう。
そんなのは当然で、自分もそうだし、誰も彼も自分の都合に限り生きているものだ。
自分が知識や技術や、その集合の証明や表現してる人間を好むのは、つまりそういう事なのかな、と思ったり。
ある1点の評価だけで、それ以外の評価などしないし、されない、という世界。
誰が言ったかではなく
何を言ったかが重視される世界。
自分が
喜嶋先生の静かな世界
を森博嗣の最高傑作だと思う理由の1つがそこにある。人間関係は感情が先立って成り立つものだが、その感情を排した上で成り立つ関係もあっていいんじゃないか、という事。