題名通り。
しかも既に語り尽くされているであろう内容ですけど
コイバナとくりゃ黙っていられない
むっつり長広舌です。
◆
パートナーが欲しい人がしてはいけないたった一つのこと。 - (
Parfüm)
asami嬢の記事
パートナーが欲しい人がしてはいけないたった一つのこと。に対して思ったことを記します。
いや、記事に対する異論というよりも、触発された
むっつり長広舌恋愛論ですかね。妄想や幻想とも言います。
恋愛とはそもそも異性愛にしろ同性愛にしろ、両性愛でも無いかぎり、先ずは男性か女性という属性から始まります。
故に属性を重んずる認識で当然なのです。
しかし、と思います。
パートナーが欲しい人がしてはいけないたった一つのこと。での論旨は、僕個人その通りだと思います。ミステリアスとまで言わぬまでも、がっつく人間は何となく避けられる、くらいにはあるでしょうから。
しかし、程度によりますが、もしも
パートナーが欲しいと言う積極性に退いたのなら、それは退いた人にとって「
パートナーが欲しい」発言者は[別な人]と言う可能性を考慮し置換可能な属性であって個性ではない。
僕はそれが気にかかるのです。
以前
一人より二人、三人より二人。でも書きましたが、好きだと自覚している時、
健やかな時も病める時もと考えているのか。個性を見出さず
猿山の猿でいる、恋愛は自己愛、それを物語っているだけ、と言うのは如何なものか。
無論、個人の自由ではあります。
しかし、関係している時点で「
相手の時間、人生を費やしている」と言う自覚があるのか。そして、時間を費やすと言うのは決して戻せぬ時間、即ち
死活問題である、と考えているのか。
パートナーが欲しい人がしてはいけないたった一つのこと。では出会って間もない至らぬ関係、という前提のようですから論旨も的確だとは思います。けれど、僕が主張する
死活問題と言う認識があれば、そもそも
パートナーが欲しい発言に退かぬだろうし、また
パートナーが欲しい発言なんて出来ないだろう、と思うのです。
考えの違いから「男だから」「女だから」と言うのも傲慢な差別だと思う。
「男だから」「女だから」は事実です。その考えが何に依拠しようと性別が変化するわけではないのですから。しかし、僕は実際に「私は女だから(後略)」と言われたことがありますが、性別で断定するのは、例えば「統計で犯罪者は男性のほうが多いから男性は犯罪者」と変わらない。もっと言えば、肌の色で優劣を語るのと変わりません。統計や人種自体は事実ですが、属しているから当てはまるとは限らないでしょう。しかも、それを自身で言うのなら、それは単なる怠慢です。
現代の先進社会では、「差別」は厳しく監視され、戒められている。だが、一人の人間が一人の異性を選びだしたり、一対の男女が相手を選び合ったりするのは、「差別」の最たるものなのである。不公平で、不平等なもの、それが「恋」なのである。そこに「愛」という語を付け加えるのは、日本であると西洋であるとシナであるとを問わず、欺瞞であると言わざるをえない。 - 【
恋愛の昭和史】
小谷野敦想像の通り、僕は一人者です。恐らくは一生一人なのではないかと思います。少なくとも、人を好いて関わる、と言うのは相手の時間、人生を費やす
死活問題なのですから、僕の死を、あるいは自分の死を考えている人としか共有できない時間、問題ゆえに。
つまり僕の言いたいことは唯ひとつ--
「
パートナーが欲しい!!」www
関連記事
◆
一人より二人、三人より二人。関連リンク
◆
パートナーが欲しい人がしてはいけないたった一つのこと。 - (
Parfüm)