ウォーリーが素晴らしかったのは、ウォーリーが話さず動きだけで意味と愛嬌を示していたからだ。主人公やその他に言葉が許されている時点で、せっかくの動きも飾りになってしまい折角の品質が無駄になってるように思う。
子供向けだからしょうがない配慮だけど、その割にはおっさんむけの題材と装飾だから酷く見える。
最後の1位になったサンダーの扱いが酷すぎる。
主人公とキングはディズニー故にこれみよがしの奇麗事であっても、ある意味でこれを見せるためのものだから見ていられたけども、勝者も賞賛されて当然である。
衰退した街を形だけでも奇麗にした努力は素晴らしいが、全盛期よりも良いなんてありえない。何故なら、主人公は再起の契機を示しただけで、作中ではその場にいたキャラだけが騒いでいるだけで実際に外から誰も来ていないのだから。主人公の成長、あるいは変化こそを奇麗、作品の終着、主題としているからには、街の住人じゃなく外から他者が来て初めて全盛期に並び、当時なかった要素、ヒロインなり主人公がいて全盛期よりも上になるわけだ。
言うほどの交流もないままいつのまにか打ち解けているし、全体的にキャラの自慰ばかりという印象。
望まぬ環境から光明を見出し成長する、それがレースに反映される、という演出はわかりきってたけど無くてはならず燃えた。
しかし後進は強引だと思う。後進からその場で180度回転して体勢をなおせるならそもそも後進の技術が不要だからだ。
プロのピットよりも凄いという演出も待ってたました、と思ったのは場面が始まるまでで、始まった瞬間に過剰演出で台無し。
環境が違うのにレースで慣性ドリフトをどう使うんだろう、と考えていたが、これは見事だった。演出的に後進とかぶっていたけど、なるほど、と。