男による酷評と女による絶賛という構図に過剰反応する男女。
自分は、日本で上映される前に、
Kristen Bellがついに
ヴェロニカ・マーズ以外の代表作を手に入れたという話を聞いて、内容を知らないままにWOWOWのアカデミー賞で曲だけ聞いて「くそつまらん曲だな」と当時は主題歌と知らず評価して、その後に日本上映されてくそつまらなかった、という感想。
しかし、
男による酷評と女による絶賛という構図で盛り上がるのも実に馬鹿らしく見えるので、少し違うことを書いてみる。
これを映画として認識するから、ここまで酷評する声が大きくなるのだろうと思う。
実際に映画なのだが、こう考えてみてはどうだろう?
ディズニーと言えば、ディズニーランド。
あそこは大金と人手で客を「自己陶酔」させる場所だ。
アナ雪も同じだ。
ダークナイトを見て正義とは何か社会のありようとは世界はどうすれば守れるかを考えて作品を語り作品に感動した男でも駐輪禁止の場所に自転車を迷わず止め犯罪と認識せず罪悪感もなく生きる人もいるだろう。
アナ雪も同じく、作品に感動したと言ってレリゴーレリゴー(Let it go)くちずさむ女がいても、別にそれによって「女はかくあるべし」とか見知らぬ国で消費される未成年の強制売春を無くすにはどうすればいいかどこに金をだせばいいかなど考えないだろう。
その程度なのだ。
「ありのままの自分」なんて結局は自己満足の自己完結で自己陶酔ヒャッハーなんだからそれ(作品)を分析したら気持ち悪いものばかり出てくるの当然。当人以外にはどうでもいいことなんだから。女にむけて
個人的には、素晴らしく売れているアナ雪だが、数年ごとに語られるほど息が長い名作にはならないだろうと思う。
作品を見て感動した人人=女が「ありのままの自分」こそ本懐とするならば、結局は執着の対象が何よりも自分なわけで「自分じゃない作品」の某かの継続なんてどうでも良いだろうから。
「これこそ女だ」とアナ雪を絶賛する女は、それこそ「アナ雪の良さをわからない男」を相手にするのではなく、アナ雪の良い情報(感想や商品)を忘れずに年単位で自ら情報出力を継続し歴史に残すこと。もし作品に感動したならば、それこそが作品に対する生きた絶賛じゃなかろうか。
男にむけて
日本における男の消費者は弱すぎる。
アメリカじゃアナ雪同様に
ダークナイトも売れてる。
つまり、女の作品も男の作品も等しいのだ。客層は異なっても。
しかし、日本じゃ、この2作の売り上げは酷い格差がある。
女の作品を酷評する暇があるなら、自分(男)の作品を買って語って売り上げと作品の作外情報(感想)こそを残そう。