7話、あるいはシリーズの不満点。
- 意味深で無意味な台詞の応酬
- ガンダムの変形や装備が視覚的な変化だけで物語の展開や描写における意味がない
- MSの戦闘画面が視聴者への収集的な羅列で作中現実における戦争として描写ではない
- 設定的に長きにわたる種族間の戦争なのに、攻撃手段が尺あわせや死なないキャラなど大人の事情が丸見えの稚拙さ。例えば銃を撃たずに銃を撃たれてる中で無駄に接近したり、それまでの演出上は剣の1撃で倒せるのに剣を使わずに蹴るなど。過去作をなぞった演出のため?
- やたら連呼される「可能性という名の神」という台詞のように、異なる概念で1単語ですむ名詞や用語を無駄に装飾して賢ぶりたい頭の悪い会話と決め台詞
- アンジェロ。戦闘中にMSでおじぎをする「戦争」を馬鹿にした厨二演出。人格や造形も「戦争」を描くにはふさわしくない美形人気獲得キャラ。
- 青臭いバナージ(主人公)理想主義に対して説教や補助する大人たちも青臭く語彙が違うだけで存在が無意味。
- フルフロンタルの掌返し。最終決戦で次代にまかせるようになるなら箱の中身がわかりバナージとミネバの主張を聞いて話は終わってる。段取りが酷すぎる。
- 機械(ロボット)なのに結局は精神論、根性の卓袱台返し。
- 初代ガンダムを見てなくても知ってる要素が作中で登場するが、知らない要素は意味不明で、知ってる要素は登場する理由が不明。石塚運昇が何の関係もない2役やって。アムロとララァって何のために何で出てきたの?
- ミネバ演説の意味がない。物語における感動的な演説というのは、最終決戦への「挑戦」の際に、奇跡を起こす、あるいは奇跡に勝る行動を呼び起こすためのもの。だから壮絶に馬鹿な映画インデペンデンス・デイやパシフィック・リムの演説は感動する。バナージによる奇跡後に演説しても、それは戦争するにせよしないにせよ安心を得たあとの盲信にすぎず、つまり本編開始と本編終了の状況が抽象的には変わらず、これまで作品を見てきた時間が無駄ってこと。
小中学生に向けて作り、小中学生がこれにはまり大好評ならわかる。
というかガンダムというのが、まさしく玩具を作って売るためだけの資料なのだとう事を今更ながらに思い知った。
作画や音楽、そして売り上げ、日本を代表する大作みたいな評判を聞いて、またトレイラで世代間、種族間、男女愛、普遍的な問題が個性的な装飾で描かれ戦争の利鈍にまで踏み込んだ名作、を期待して見た自分が馬鹿だった。
少なくともアニメとしての動画や音響やらは日本におけるトップレベルの作品。
しかし、作品としては予算と手間に対してあまりに空虚。酷い。
細かい不満はあれど5までは楽しめてたけど、それぞれ1時間あって展開は遅く、原作あると知らず初見だったのに場面の飛躍から構成に抜けてる要素が見出せて、最終回がアレで、1から6までの細かい不満が致命傷に思えてしまう。
ブランドだけでここまで予算とられて自分の好きな作品がアニメ化されない現実が、バナージ、悲しいね。