最近、アニメの
シドニアの騎士を見て、
原作である漫画を再読して思ったのだが、漫画というのは非常に扱いづらい。
文字中心の本の場合には、創作である小説も暗記や知識のための実用書も区別なく
4色ボールペンで本に書き込む。
漫画の場合にはそうはいかない。
文字だけの本と違い、書き込むことで汚れて絵が見づらくなるし、自分以外も読むし、
ダークナイト リターンズや
ウォッチメンのようにフルカラーで光沢がある紙には、それこそ余計な汚れを足すだけで読みづらく、そもそも書き込んでもインクが定着せず、にじんでしまう。
付箋をはるが、頁内のどの齣、どの絵、どの文字に着目したのか見ながら考えないといけないので、やはり不便だ。
自分の出力につなげるには、主観的管理、編集が重要で、
『ダークナイト』で「ジョーカー」を演じたヒース・レジャーの日記では漫画などを切り貼りしてまとめてる。
しかし、1冊が数千円する漫画を読む用と書き込み切り貼る用の複数冊を買う金銭的余裕が無い。
文字の場合には、1字1句を書き写して意味さえわかれば問題ないが、漫画はおおよその構図だけじゃなく、具体的な細部にこそ核心があるので、書き写すには原著に近い手間がかかる。そんなの素人には無理だ。
デジタル書籍じゃ意味がない。
手書き、そして目が疲れにくい紙だから有効なのだ。
自分にとって「読む」とは使い捨て消費するのではなく、「感想を話す」程度の簡単な出力にせよ、出力するのが前提の入力なので、その点で、紙媒体における1番簡単に読みやすくわかりやすい漫画こそが、自分には扱いづらく作品の形と印象を残そうと思えば思うほど、「読む」しか出来なくてつらい。