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ドラえもん大長編の興行成績が歴代1位になった「奇跡の島」が大長編史上最悪の映画だった件 このエントリーをはてなブックマークに追加

ドラえもん のび太と奇跡の島が歴代1位の興行成績と聞いて、見た。
酷すぎた。
これ売れたのってゲームと同じで前作の評判が既見と未見の両客を読んだ結果であった作品の内容ではなかったんじゃないか…と思えるほど。
とにかく話に動きがなく台詞はひたすら説教。もしも子供が見て楽しんだのなら良いけれど、子供が見たいからじゃなく、親が見せつけたい作品だから売れたのだろうか…。
まず、段取りが悪い。本編が始まるのが40分って。
今の子供って、カブトムシに浪漫を見出すのだろうか?
おっさんは喜んでも、今の子供は置いてきぼりな主要素じゃなかろうか。
ただし、のび太の父、ノビスケこそが今回の核なので、あえて世代間を打ち出した、わかりやすい仕掛けであったとも言える。
カブトムシ相撲で、ドラえもんテンプレでのび太がジャイアンに挑んで負け確。「弱い、安い」と言われてのび太は当然ながら同席してたノビスケまでもカチンときてムキになりジャイアンとやりあい、しかし当然ながら負けたあと、あっさりと笑顔で負けを認めて負けた要因もわかっていて遊びとして楽しんでささっと帰る大人っぷりには感動した。
しかし、ここでやめておけばいいのに、序盤はやたらと日常場面で多くて、のび太に対する父と母がこれでもかと出てくる。本編が始まるのが40分と書いたが、ここまでドラえもんとのび太は毎回映画の舞台となる場所にまだいっていない。ゲストキャラや前振りと日常場面で40分が費やされている。そして日常場面の極めつけは本編展開するまでの最後の段階で、ノビスケがのび太母(玉子)に「のび太が生まれた時をおぼえているか?」と聞いて、夫婦の出産以後の回想がはじまり「のび太のことを思うとここが温かくなる」と胸に手をあてて語りだす。この場面不要だろ。今作のゲストは、田中敦子と水樹奈々とノビスケだから、その点で本編が始まる前にノビスケに焦点を当てたいという気持ちはわかるけど、親が子を思う、ノビスケとのび太の関係核心は後に遭遇する過去のノビスケとのび太の、作中の言葉で「Wのび太」だけでしっかりと見せられるしそれで充分だろう。
そして、このくどい家族愛押し売りの場面が、なんと2度もある。2回目は中盤に、レギュラとゲストが集合してわいわいする箇所で、親がいないロリ水樹奈々に対して「喧嘩もするけど父母を思うとここ(胸)が温かくなる。だって親子だもの人間だもの」と台詞と動作と尺の全てを使って押し付けてくる。しかも、何故か親がいないロリ水樹奈々も、いない親を思ったら胸が温かくなった、と言い出す始末。
馬鹿か!
親がいないが、近しい世代や遠い祖父世代が思ってくれている、とレギュラが親子の情を示し、ゲストが無血縁の情を示して「人間関係の全て」を見せればいいし、それがある意味で教育であり道徳であり娯楽作品における奇麗さではないのか。
序盤のこれみよがしのノビスケ出番によって親子愛が主軸にあるのはわかるし、むしろそれ以外の要素を視聴者に許さないとすぐわかるように作っているとは言え、異なる環境でも通じる情と見出せる情、最終的には1つの「絆」だが「結び目」が異なる、というものがなく、1つの価値観を共有するしか道がない稚拙な洗脳が酷い。
親子関係の美しさなら、たしかに過去のドラえもんでも幾らでもやっているし、例えば、竜の騎士日本誕生なんかは親への抵抗として家出して、その最中あるいは結末でいい親子関係に落ち着くが、しかし親子関係そのものを全面には出さないし、演出面においても、長時間離れたが故の子供としての甘えや、起きてる時は強気だが寝言で「かあちゃん」と言うジャイアンなど、必ず利鈍の対比があった。
今作は、誰がどう見てもいい親子関係だし、親は子に、子は親に何も不満を抱かず目立った諍いもなく、子を思う親と、親に甘えてる子、誰もが認める奇麗な親子が更に奇麗ごとを言う過剰。フルハウスですら落ちのための諍いを毎回用意しているというのに。
奇麗という暴力、みたいな似たような理由で、ロリ水樹奈々がのび太のカブトムシをほしがり交換を要求する場面。
のび太は交換しない理由を説明して拒否する。ロリ水樹奈々がぐずって「帰るまであずかって」とロリ水樹奈々に渡して、ロリ水樹奈々も大変に喜んで受け取るのだが、これはいい話だろうか?
のび太にとって大事な理由、交換出来ない理由は伝えているのに、わざわざ加減を知らない子供に、奪うの前提で思い入れるような行動をとらせるのを美談とする無神経さが酷い。
同じ場面の最後はドラえもんがのび太に「何があってもずっと一緒だよ」と言う。携帯小説かよ!
そもそも、奮起する理由と親子愛、または絆は別問題なのに、それをどうにか結びついた主題なんだぜドヤ、とごりおすからむちゃくちゃ。

平和、争い

これは子供が見ても気にならない点だと思うから過剰反応かもしれないが、これまで平和で争いがなかったから武器を持ってないない、ってどういうことだよ。平和や争いという概念を知ってるからには、それらを経験しているわけで、それに備えていないというのはただの馬鹿だろ。武器をどう使うか、ではなく過剰に武器を消し去ろうとする演出が、結局はキャラクタ達を無様にして終わらせてしまっている。

大長編のび太

大長編ののび太は格好いい。
今回は、このおやくそくすら破った。 のび太のピンチをノビスケが助けて「のび太の事は俺が守る」という台詞に対して、のび太が奮起するのではなくただうなずいて依存するだけってどういうことだよ。しかもあの場面、音楽では異様に盛り上げてるが、別に移動してる途中の1場面でしかないのに名場面ふうに演出されてもついていけないよ。

音楽

わさび版は、今の手間ひまで作ったらこんだけすげえもん出来るよ、という利点もあるが、子供にせよ大人にせよ「これがドラえもん」と思える印象に残るものがない、残そうという意図がない、ぶつ切りな感じがする。音楽自体はたしかに奇麗で派手で金かかっているけど、あの場面のあの音楽、とかこの曲=この意味の場面、という積み重ねる意図がなく、その都度ただ作ってるだけな感じ。金さえあればここまで出来る、けど金以外の要素に苦労や工夫が無いというか。

集中線

これは必ずしも悪いわけではないが、集中線背景が多すぎる。

ザンタクロス

のび太の部屋にザンタクロスのポスターが貼ってあったのが良かった。無関係だけど連続してると思わせる仕掛けは素晴らしい。

田中敦子がエロかった

ゲストの田中敦子はキャラ的に全くいらなかったが、でてくるたびいちいちエロかったのが良かった。あと、ノビスケが野沢雅子だったのに笑った。

挿入歌

新・のび太と鉄人兵団でも思ったのだが、このわさび版は挿入歌がくどい。歌の良し悪しはともかく、なんでそんなに流すのかってくらい流れる。特に「30年前」に状況説明のための短い場面に流れたあの歌なんなんだ?
挿入歌なんてのは中盤に1度聞ければいいんだよ。2回も3回も流れたらそれはもうただの曲のPVだよ。

カブトムシ意味不

黄金のカブトムシが「島の維持」に必要だというならわかるけど、どうして島にいる動物の生命力に影響するんだ。だって島で生まれ育ったのではなく、外から島につれてきたのに。

子供が見て面白い?

これを子供が見て面白いと思うだろうか?
純粋に、構成はぐずぐずで、ドラえもん達の動き自体にも見せ場がなく淡々と場面が展開するだけで、ディズニーをやろうとしてディズニーの核心であるのは奇麗ごとじゃなく誰が見てもときめくキャラクタ達の愛らしい動き、というのを失念した誰得作品になっている。
敵との戦いも、カブトムシ相撲を最後にこうするか、というのは面白かったが、巨大機械に立ち向かうのび太達の危機感のなさ。どういう意図か、平和主義の押しつけか、今回は空気砲など武器らしい武器が使えない状況で戦うが、巨大機械の足下でチアリーディングする静やただ走り回って叫ぶだけののび太たち、意味がわからない。
カットきってまで見せたジャイアンが踏みつぶしたタケコプターの場面って必要だったか?
ドラえもんが道具だした時にドラミが「あれ忘れてる」といってわざわざ1つの道具を2場面にわけて尺を取る必要があったか?
とにかく見せたい場面に台詞と尺をとって、更に展開や説明に不要な無駄な場面があって、1時間40分は長過ぎるよ。
もし子供が楽しんだなら、それでいいと思うけど、本当に子供を楽しませるために勉強して主張して作ってる、とは思えない。
どうしてこれが歴代最高に売れたのだろうか。

映画 [ 2013/06/16 22:22 ]

楓牙「兄と妹の事情」感想 - 女は許容して拒むべき このエントリーをはてなブックマークに追加

よくわからん。乗り切れなかった。
みんな大好き「兄妹」もの。気持ち悪い。俺妹もブラコン、シスコンじゃなく疑問も遠慮もないただの兄妹なら面白かったのに…と思っているので。
楓牙の持ち味の1つとして、登場人物が関係に確信を持っている、だと思うのだけど、男の子 女の子で若年まで書いてしまったから、その後からどうにも無理を感じるようになってしまった。
せつない想いの白血病も唐突に感じたが、今回の猟銃とかどうなんだろう。日本における銃器の扱いって、そうとうわかりやすい世界観を最初に提示しないと違和感しかない。
楓牙の芸風でもあるが、いい加減、両思いセックスと中出しはわけたほうが良いと思う。教師と生徒とが楓牙の中では何でもないほうなのに1番いいと思う理由は、そこ。精神的な欲求と肉体的な欲求、その合致と齟齬の両方を見せているから萌えるのだ。
両思いだからAll Okなんて気持ち悪くてしょうがない。娯楽なら全部許容なんてわかりきっているのだから、どこかに男と女が互いに抵抗する点があって、でも結局互いに違う点でやっちまった、という事がないと連続した漫画じゃなく静止画で終わってしまう。女はセックスを許容して中出しは拒むべきじゃないかね。
設定や構成などは、楓牙の初期作に近く随分と突飛でエロ漫画らしからぬことをやりたがっている、という感じ。実際にそういう要素で受けて、教師と生徒と男の子 女の子なんかは楓牙の寄り道にすぎないのだけど、自分としてはその2作を評価しているので、今回のようなハリウッド的な仕掛けをエロ漫画で消化したようなのは、生活に根ざしたセックスと錯覚させる楓牙にはあわないように感じた。前述のとおり、設定だけなら初期に近いので、むしろ楓牙らしい、と評価されるような作品でもあるのだろうけれど。
自分は、性的にも文学的にも乗り切れなかった。
次回作のヒロインがどう見ても谷川柑菜です。本当に(ry

漫画 [ 2013/06/16 20:44 ]