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【記憶の宮殿】とは72「くっ」 このエントリーをはてなブックマークに追加

ごく平凡な記憶力の私が1年で全米記憶力チャンピオンになれた理由(以下本書)を読んだ。
本書は著者の経験をもとに、しかし単純に記憶力強化の実用書ではなく、記憶の種類や手段の種類を紹介しつつ物語的な構成で、これが実にうまく機能している。
自分は姑獲鳥の夏を連想した構造だった。
また小説や映画だと肩すかしになる展開が実体験ゆえに劇的に感じられる、という作用もあった。
記憶の話に戻すと、例えば、吟遊詩人はおぼえにくいものをあえて音楽にのせることで記憶して、また音楽と意味にそれた言葉でなければ、それを時時で変更して伝えていた、とか。
例えば「喋る」を「話す」は意味が同じだし日本語の発音としては同じ音数だが言葉自体は違う。
そんな感じ。

記憶や記録の種類

1 記憶する
先天 (現在不明の才能や病気)
> 記憶対象は無作為
> > サヴァン
後天 (現在可能な方法と訓練)
> 記憶対象は任意
> > 記憶の宮殿
> > マインドマップ
2 記憶しない
文字や絵画の様式(歴史)
録画や録音など外部記憶装置(Life Log)
記憶力についてちょっと調べると第一に出てくる忘却曲線なども紹介されている。
ここでマインドマップは分類記憶しないだろ?という認識をする人もいるだろうが、それは後述するが、自分はマインドマップというパッケージの箇所箇所は応用できてもパッケージ全体を肯定あるいは応用出来なかった。
しかし記憶の宮殿を実践してからわかったのだがマインドマップは記憶の宮殿を脳内じゃなく脳外で可視化したもの、ということ。
マインドマップを知っても応用できない人はまず記憶の宮殿を覚えるのをおすすめする。
自分の足で歩く前に距離や速度の概念を理解できないが、自分で歩いた後なら速度や距離を歩かずに容易に計算できるようになるそういう感覚。

記憶の宮殿

順序が逆になったが、記憶の宮殿を軽く紹介。
これはすぐに位置関係が思い出せる自宅などなじんだ場所を脳内再生して、覚えたいものを部屋の間取りや不断使っている物に置換あるいは関連づけて記憶する方法。
例えば、冷蔵庫の前にまで来て何をしにきたか忘れていることはあっても冷蔵庫の場所を忘れる人はいない
だったらこれから買いにいくものを冷蔵庫にしまい陳列したとこまでの視覚情報を脳内再生すれば、理屈としては(脳内で)リアルタイムに(脳内で)見ているのだから忘れようがない、ということ。
更に、脳内再生する設定や風景は突飛であるほうが印象に残りやすいという。
例えば冷蔵庫に生ラーメンが入っているのは当然だが、ある日に帰宅して烏龍茶を飲もうとして冷蔵庫を開けたら死体が入っていた、だったら一生忘れられないトラウマになるだろう。
そのトラウマ的印象深い事を現実には経験せずに脳内設定だけで構築して印象に残るようにしよう、というもの。
ちなみにこの例は読んだ自分の解釈、応用であってここまで極端な例を本書ではあげていない。
ただし、エログロこそが記憶に残りやすい、という示唆は本書にも多くある。
記憶の宮殿を応用して、覚えられない事を自分が大好きな美人にあてはめながら覚えた、という例も本書で紹介されている。

The MENTALIST

アメリカのドラマTHE MENTALISTでも記憶の宮殿が小ネタとして紹介されていて概念は知っていたけどいまいちピンとこなかったが、本書を読んで、著者の経験した順番を対象だけ自分のものに置き換えたら難なく出来た。
理屈じゃなく実感するとTHE MENTALISTの裏設定的なことが見えてきて面白い。
このドラマはスーパーパイザもいるだろうが、脚本と指揮のブルーノ・ヘラーが資料じゃなく実践してるのではないか、と思った。
自分はマインドマップ自体は知ってるし幾つかの要素を応用しているけど、トニー・ブザンがイギリス人だというのを知らなかった。
世界記憶力選手権の発案者でもあるブザンだが、優勝者の半数がイギリス人。
問題の傾向もイギリス有利な事もあるのかもしれないが。
本書ではアメリカ人は今日あるいは明日の事を優先するが、イギリスでは昨日(伝統)を重んじるから記憶力あるいは覚え方に差がある、という主張を紹介している。
ブルーノ・ヘラーに話を戻す。
THE MENTALISTの主人公パトリック・ジェーン(以下ジェーン)はある罪悪感から不眠症であり、しかし捜査以外の描写は馴染みの場所で横になっている場面が非常に多い。
これは本書を読んだあとの実体験からの予想だが、この場面は記憶の宮殿を構築また利用中なのではないか。
というのも自分も記憶の宮殿のやりかたを知って実感して応用しだしたところ、寝る前が1番楽にできるしやっている最中に疲れて寝付いてしまうのだ。
また、このドラマはイギリス的要素を強調するためか毎回紅茶を飲む場面がある。
面白いのはジェーンが捜査先の被害者や被疑者の家で紅茶を探しては勝手についで飲んでいる場面が必ずあって、ひとつはジェーンの捜査を視聴者に見せる演出的な意味。
そして1つが、実体験からの予想だが、紅茶はカフェインや香りから短期記憶を強化すると言われているが記憶力を維持するための道具として欠かさず飲んでいる。
そして初めて来る馴染みの無い場所を記憶の宮殿の応用で、自分が毎日飲んでいる紅茶のある場所を起点に記憶して同時に紅茶の効能で記憶力を維持している、のではなかろうか。
だから、ドラマ的には装飾にすぎないけど設定的には重要で、だからブルーノ・ヘラーは資料じゃなく実践者なのだな、と思った。

72 くっ

72という数字を見て何を思い浮かべるだろうか?人によっては自分の年齢だったり、あるいは何の意味も無い2桁の数字だったりする。
自分と、ある作品を好きな人物(オタク)にとっては、72という数字は即座に貧乳やくっというリアクションを連想する。
如月千早というキャラが胸囲72の貧乳をコンプレックスで「くっ」というのが口癖なのだが、自分を含めた一部の人間には72という数字が如月千早を連想させるものなのだ。
先の吟遊詩人の例もそうだが、所謂語呂合わせなども応用に含まれる。
自分が出かけた先の席の番号や番号札の数字をいちいちおぼえようとする人はいないだろう。
おぼえなくてもいいように単純な数字の記録を使っているのだから当然だ。
しかし、ちゃんと意識すれば翌日でも思い出せるよう記憶もできる。
しないだけで。
私事だが、昨日新宿に谷垣健治のアクション映画バカ一代ナイトというイベントに行ってきた。
当日券を買おうと1830から始まるところを1700頃に到着して当日券を買えるか聞いたら1830から発売と返答されたので余った時間に油そば総本店で大盛りを食べた。
その時の席は3番席で、その後に谷垣健治のアクション映画バカ一代ナイトをやっていた新宿ロフトプラスワンの注文番号は49だった。
油そば総本店の3番席は空間記憶(記憶の宮殿)の応用で、自分の右後ろに1人の男性客がいて上に店のアナログ時計があり、自分の右前は店員が厨房に出入りぐちがあって、店員はそこから出てくるも自分の後ろをまわりこんで左後ろから油そばを置いていった。
などなどを集合体として記憶した。
これは意識して覚えたのだ。
それから注文番号の49は、49=よんく、ダッシュ四駆郎の絵を思い浮かべた。
時間とか場所は地球上の動物にとって最重要情報だから、人間ももれなく無意識に処理し無意識に優先する。
それらの情報とそうではない情報を結びつけて記憶すればいい、という記憶術の基本にのっとった結果、こういうどうでもいい事まで記憶できるようになった。
といっても1日前の事だからおぼえていて当然だけど、例えば毎日電車通勤で利用している駅の階段の段数をちゃんとおぼえている人がどれだけいるだろうか?見ただけじゃなわからない。
階段を利用した上でおぼえようと意識しなければおぼえられるものじゃない。
そういうこと。
自分もそうだったが、記憶の宮殿を説明されても応用できないのは、つまり自分が馴染みあるものが例じゃなく説明する者にとって馴染みがある例だからだ。
そして、自分が馴染まない例を自分が馴染むものに置き換える想像力が無い人が多い、ということ。
繰り返すが、自分もそうだった。
数学能力に欠ける人が多いのも同じ理由だろうと思う。
数学も同じ理屈だからだ。
自分が知らない要素を知っている要素に仮定して計算するのが数学なので、知識を得るための想像力と知識をいかすための応用力が求められるので、無味乾燥な文字にしか見えない人、見ようとはしない人が多く、そして現状があるということだろうか。

目次と索引

記憶術とは違うが、現在のような記憶媒体が無く何とか文字だけを書けるような時代にどんな様式があっただろうか、という話に目次と索引を開発した偉大さについて触れられていて目から鱗だった。
考えたこともなかった。
速読などの基本に、目次などから概要を知り目的を明確にする、というものがあるが、完全な創作である姑獲鳥の夏は本書と構造が似ているな、と自分は思ったのだけど、京極堂シリーズの不満は目次が無いこと。
作中の章分けはされているが数字だけで、そこにいたるのが凄く手間。
もっとも頁数が多いから本の場合には厚さや重さの感覚からだいたいここらへんで書かれていた、と記憶できるのだけど。
自分は句読点、記号・符号活用辞典。
を持っていて、これら記号の種類や歴史にも興味があり面白いと思うのだけど、目次や作品の歴史なんて考えたことがなかったので、本書によって明確な興味がわいた。
日本は縦書きが基本だが難無く横書きにも対応してしまい、またいつから日本において横書きおこなわれたか、などをまとめた横書き登場と併読すると面白いかもしれない。
本書は実に読みやすい。
というのも文章もそうだが、目次があり、章の始まりは常に左の頁からで、後ろの頁には注釈と索引がある。
本として可能な利便性をとことんまで追求してるデザインでもあるのだ。

その他にも

The West Wing

不意打ちに笑ったのは、自分が大好きでDVDを全巻持っているアメリカのドラマザ・ホワイトハウスがいかに優れたドラマか、というふうに書かれていたとこ。

女性トイレの中にいるような気分だ!

また、著者が喜びのあまり女性トイレの中にいるような気分だ!と発言したこと。
本書でも言われているが、優れた記憶、知性をたもつには知性とはかけ離れた強い印象の馬鹿げてありえない欲望こそが重要である、ということ。

ジャグリング

数学者にジャグラアが多い点も軽く触れているが、自分は小学6年の時に、単純に凄い面白いという理由で東大のジャグリングサークルに参加させてもらっていた。
3年くらいであきてしまったけど、その時におぼえた技は今でも出来る。
基礎の基礎でしかないけれど。
その点を踏まえて今になって思うのは、理論と実践の差異を手軽に実感でき、かつ肉体的な刺激によって感覚の衰退をおさえる効果がある、からなのかなと。

ぼくには数字が風景に見える

優れた能力者の例に、ぼくには数字が風景に見えるの著者であるダニエル・タメット(以下ダニエル)もインタビュウされているが、本書が小説ではなくノンフィクションである面白さの1つとして、ダニエルが事故や病気の副産物で驚異的な記憶力を得たのではなく、訓練によって得たものではないだろうか、という疑惑を記していること。
ちなみに、記憶力自体は嘘ではない、という前提。

インセプション

記憶の宮殿を初めてから、これってインセプションじゃん、と思った。
自分に馴染んだ世界に経験しえない空想をまぜて体験的に把握する。
これはつまり、起きながら夢を意図して見る技術でもあるわけだ、と。

最後に

本書は面白みの無い、しかし体験によって感動的な落ちとなっている。
つまり、目標をもって最適な訓練を繰り返すだけの意思があれば、誰でも天才になれるということ。 以下は本書におけるトニー・ブザンの引用。
オリンピックに出るためのトレーニングをしましょうと言って選手を椅子に座らせ、1日にビール10缶とタバコ50本を与え、車で移動させ、1ヶ月に1度、身体を痛めつけるような運動をさせて残りの時間はテレビを見て過ごさせるような、そんな生活をしているのと同じだ。そして、どうして成果が出ないのかと不思議に思っている。
天才の定義にもよるが、学者は実感としてあるのだろうが、知識が増えるほど新しい知識を得やすくおぼえやすくなる。例えば、日本語しか知らない人には英会話は出来ないが、英単語を知っていれば英会話も出来るようになる。もはや説明なんてするのも馬鹿らしい、動物としての簡単な能力、自明だ。少なくとも、記憶の宮殿などの夢物語を意識することでそれは夢物語ではなくなる。
何とも現実的で幻想的な話だ。 実際に著者や世界記憶力選手権参加者は、大会の3箇月前から酒を飲むのをやめたり、当日余計な情報が入らないように防音の耳当てをつけてきたりする。
自分はこの本を読んで、やっと覚えかたを覚えた、という感覚にいたった。今後新しい技術が発表されるまで、この本は生涯の1冊として応用し続けられるだけの意味と価値が、少なくとも自分にはあった。

感想(考察) [ 2013/02/23 20:09 ]