TOP Page > スポンサー広告 > スポンサーサイト書籍 > 日本語の縦書きはいずれ滅ぶのか?来歴と行方を考えようぜ。【横書き登場】
TOP Page > スポンサー広告 > 日本語の縦書きはいずれ滅ぶのか?来歴と行方を考えようぜ。【横書き登場】TOP Page > 書籍 > 日本語の縦書きはいずれ滅ぶのか?来歴と行方を考えようぜ。【横書き登場】

スポンサーサイト このエントリーをはてなブックマークに追加

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 [ --/--/-- --:-- ]

日本語の縦書きはいずれ滅ぶのか?来歴と行方を考えようぜ。【横書き登場】 このエントリーをはてなブックマークに追加

横書き登場―日本語表記の近代 (岩波新書 新赤版 (863)) 屋名池誠文章は書くより打つ世代(時代)にとって日本語の横書きは縦書きよりも読み書く量が多いのではないか。
僕なんかそもそも手書く機会が無い上にいざメモる時は必ず横書きだ。
しかし日本産の漫画や小説は縦書きを読んでるし違和感どころか読みやすいと思っている。
そこで日本の横書き事情に興味をもってネタを求めたら『横書き登場』ズバリそのものに行き当たったので読んだ。
本邦における横書きの歴史は長いのか短いのか深いのか浅いのかよくわからない。
古くは821年真言七祖像(国宝)に空海が記した恵果阿闍梨が左横書きであるけど、これは梵字(サンスクリット語)=外国語をまねただけで日本語の書式としては確立せず日本語の横書きと言うには弱いらしい。
ただ1字1行ではなく対外国語として簡単な横書きがあったのも事実。
本書では漢字(ひらがな,カタカナ)が正方形的な文字なので後後の横書きにも抵抗がなかったのでは、と書いてあるけど、そもそも日本語における文字=漢字が外来語なわけで、日本人の何でもござれ土壌はここからして根が深いのだと僕は思ってる。

時代は下って江戸時代の蘭学に合わせ横書きも広まる。
外国語への注釈などでこれもまた対外国語の横書きだが、逆に日本語を外国語風書体で横書く戯作もあった。
本書には浮世絵風の洋画Georges Auriolの絵が掲載されていて、横書き含む海外からの影響と別に、海外へ影響した作品にも興味が出てきた。
渋谷の山種美術館で今浮世絵入門をやっているのだけど9月から日本画と洋画のはざまでがひらかれるそうで、歴史にも作品にもうといが楽しみにしている。

本書を読むまで意識していなかったが、一般に右横書きと思われているものは暖簾などからだがそれは1字1行の縦書きであって横書きでないのだそうだ。
右横書きと1字1行の縦書きの混同が右横書き=伝統的の誤解を招き大正から昭和戦前まで相当に混乱したようだ。
本書に記されていた古い右横書きは横浜開港にて海外への羨望と幻想と交錯が強くなる中の歌川貞秀の横浜浮世絵で2行右横書き(1862年)。

明治にて外国語の辞書でこれまた対外国語の横書き(日本語訳のみ縦書き書式もあった)だが面白いのは左綴じに合わせて序文など日本語のみの文章で縦書き右行があったのだ。

大正から昭和戦前にかけてが書式混乱期だったらしく、本書の例が凄く面白かった。
この頃は既に横書き自体は珍しくなく、縦書きと同じ改行方向から、この頃の右横書きは縦書きとの併用、見出しが右横書きで本文が縦書きという新聞があり中国新聞(1945年)の見出しP51参見初と日本語は右横書きで英数字が左横書きと言うむちゃくちゃなもんもあったらしい(しかし意外と読めるなとも思ったがw)。
また当時の雑誌には|あいうえお|おえういあ|と左右の頁で異なったり広告も左右横書きを上下に印刷するなどもあった。
これは横書き自体は珍しくないものの、欧米からの知識はある種特権階級であった時代だし、民間には広く縦書きと同じ改行方向の右横書きが良いと考えられていたので両面をおさえる工夫であったようだ。
それにしても左右の頁で異なるのはどう考えても不便だろうにw

左横書きに落ち着いたのは戦後で、英語やアラビア数字に合わせてきた一部の知識人(行政)とは別に民間も海外知識の草の根により今に落ち着いている。

本書の著者は書式による優劣は問うてない。
僕なんかは書く文章に限れば9割がパソコン(ワープロ)からで横書きには何ら抵抗は無いけど、それでも漫画や小説はやはり出来るだけ縦書きで読みたいし、携帯小説なんて大嫌いなおっさんだw
しかし高島俊男(漢字と日本人)が言うように漢字礼賛もおかしいし、つまり言葉の意味と発言の意図を常に思考しろと思う。
こんなことをいえば「縦書きは横書きには代え難い独特の力をもっている」「横書きは微妙な情緒を表現するのには向かない」という声も聞こえてくるだろう。しかし、縦書きしかなかった時代の人たちは「縦書きは重々しくてよい」などとは決して考えなかったと思われる。他の方向の可能性を考えてみることもないから、その方向にくらべて味があるということなど考えつきもしないのだ。こうした色あいのちがいは、手段が複数あってこそ生じてくるものであることをまず押さえておきたい。(中略) 右横書きも含め、多様な道のあることが日本語の表現を豊かにする貴重な財産であることはいうまでもない。ただ、そうした脇道はきちんと保守・管理してゆかなければ、たちまち荒れ果てて使えなくなってしまう。
国内最大級の古墳群壊すなんて話題もあがってるし、変化そのものを受け入れつつも、来歴と行方くらいは考えようぜ日本人。
と読めるが書けない左横打ちが言ってみる。

関連記事横書き登場―日本語表記の近代 (岩波新書 新赤版 (863)) 屋名池誠

Tags : 横書き登場 屋名池誠

書籍 [ 2010/06/08 23:54 ]