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鈴木志保【船を建てる】で改めて考える少女漫画とハードボイルド このエントリーをはてなブックマークに追加

船を建てる 上 鈴木志保先日語らずに描かれる少女漫画的ハードボイルドという記事に対して幾つかの作品を勧められ、その中でUfionから作者も作品も未知である[船を建てる]を教わり読んだ。
だがしかし、作品の良し悪しとは別に、これは少女漫画でもなければハードボイルドでもねえ!w
そもそもハードボイルドというジャンルの定義すら曖昧であるが、僕は以下のように定義している。
社会における善悪と個人の抱く願望の摩擦,対比,反発が描かれ、人物の内情を言葉で説明せずに表現する。そして娯楽作品特有の心で通じてる人間関係ではなく本意はそれぞれすれ違いながら関係を継続、あるいは断絶する
銃や酒や煙草は必要ない。ハードボイルドに必要なのは全体と個体、通じながら距離をとり、わからぬまま側にいる、そういった対比ではなかろうか。
だからこそバットマン映画でありながらダークナイトが、中学生の女の子が主人公でありながら電脳コイルがハードボイルドな面を孕み名作として評価されているのではないか。イサコの最後のセリフなんてもうやばいね。
何と言うか、多数に反抗する相対的で男性的な自己陶酔こそがハードボイルドであり、しかし本作は最初から社会を切り離し自分だけの世界に終始する女性的な自己陶酔なのだ。
そして、恋愛すらたいして描かれず抽象的な話ばかり際立つ。人間関係ではなく自分自身の内面こそを重視する、吉野朔実にも通じるものを感じた。
田村由美が少女漫画の皮をかぶった大河ドラマであるのと同様に、本作は少女漫画ではない。
そしてハードボイルドでもない。
重ねて言うが作品の良し悪しではない。
ただ前提である条件にはあてはまらない、という話。
どちらかと言うと純文学に近い。

未分類 [ 2011/01/04 13:32 ]