ツンデレの魅力はギャップ萌えだとするのが一般的だが、果たしてそうだろうか?
もちろんそれも一因だが、自分がツンデレに見出す魅力とはギャップ萌えじゃなく
関係の確信だと思っている。それを以下に記す。
ツン=幼さ(純粋さ)故に自分(主人公)を見限らない安心感
ツンというのはそもそも好意を隠す、言うなれば幼さだ。その幼さは純粋さと同じで、純粋だからこそ
主人公(視聴者)を絶対に見限らない。
ツン(憎まれ口)というのは互いにある程度認め合った関係じゃないと出来ない行動であり、
ツンそのものが関係の完成を意味する。もちろん、創作物の場合には逆で、
最初はツンだが親しくなりデレるのが基本形だが、ツン=デレ、とツンの時点で関係の完成がわかる安心感。
ツンの時点でデレ=関係の幸福、が約束されている。
前に
『あの夏で待っている』9話の「切なさ」にほど遠い失恋の重要性と違和感でも書いたが、現実には
運命の相手なんてありえない。ちょっとした事ですぐに見限り見限られ、関係は死ぬまでわからない。だからこそ娯楽作品は関係の成就こそが売りで、ツンデレとは最たるものだということ。
また、同じく
『あの夏で待っている』9話の「切なさ」にほど遠い失恋の重要性と違和感でも書いた通り、ツン=純粋だからこそ、失恋キャラであっても一途でいい性格である傾向がある。
ツン=ハードボイルド
もちろんツンにも色んな性質があって、デレる必要の無いハードボイルド的なツンもある。信頼しているからこそ何も言わず、達成されても礼も言わない。という類のもの。
バットマン:アーカム・シティのバットマンとロビンみたいな。
この場合にはデレを必要としない。
言わなくても通じ合っているという言葉を無粋とする男の世界。
ツンというのは、感情の過剰表現であると同時に、感情表現が不要な確信、未熟と完熟の両方を孕んでいるのだ。
要約
- ツンという幼さ(純粋さ)故に主人公を絶対に見限らない
- ツン(憎まれ口)はデレ(愛想)が不要な親しい関係じゃないと成り立たない
以上の2点、本人の行動(ツンデレ)と言うよりも、ツンデレが成り立つ前提の関係性にこそツンデレの魅力があるのではないか、と自分は思う。