俺妹の最終回を見た。
思ったのは、実に惜しい。
自分は、もともと近親相姦ネタが嫌いで、エロゲやオタネタが寒く妹がいないほうが面白く、黒猫とあやせには萌えた、程度の視聴者ではあるのだけど、最終回の地味子は実に惜しいなと。
惜しい点は2つ
幼馴染が「関係(時間)の長さ」を訴えるも振られるという状況は、「生まれた時から一緒の妹」よりも、妹を契機に何の気なしに関わるようになった「妹の友達」である黒猫やあやせを相手にしたほうが、幼馴染の利点が主人公(男)によって否定される悲劇をより劇的に出来ただろう。
主人公である京介も地味子との関係を避けるのではなく継続を望みながらも、地味子の唯一の願望だけは京介にとって唯一受け入れられない関係である、という点で充分に地味子の悲劇は仕上がっているのだけれど、京介も認める地味子の利点、幼馴染(関係の長さと安心感)は作中でも現実でも得難いものであり登場人物もそれを認識しながら、関係(時間)が短く出会いは本意におよばなかったにも関わらず男(京介)にとって最優先の関係対象となった女(黒猫,あやせ)を目の前に振られる、というほうが失恋による完結、および成就した主人公と女の時間をこえた恋愛という点で完璧じゃないか。
脇役の失恋の重要性は
『あの夏で待っている』9話の「切なさ」にほど遠い失恋の重要性と違和感で書いたので、そっちも読まれたい。
もう1点
駄目とわかっててもすがる無様さが足りない。
地味子の告白は、演出としては充分だと思うのだけど、見ながら自分が連想をしたのは、
電影少女の
もえみだった。
主人公(男)から告白してきたのに男から振られた時に、鼻水をたらしてまですがりつき、振られたあとにも振られた原因となった女をまねて男に迫る。そこまでの恋愛(男)に対する執着や、その行動の無様さ、が地味子には感じられなかった。
地味子ももえみと同様に、これまで奇麗な顔しか見せなかったのが土壇場で必死で醜い顔を見せる、という点で同じであるし、腹パンがネタとして騒がれているけど、あれは男の理屈と男の行動による男による男にわかるネタであるし、結局は「www」と笑わせるためのネタにすぎない。
眼鏡を外したキレ顔も、京介に迫る泣き顔も、いわゆる萌えアニメ絵からはずれることもなく奇麗なまま。
個人的に、
アニメにおける失恋号泣は
【ニコニコ動画】化物語 第十五話 つばさキャット 其ノ伍のアバン羽川翼が至高だと思っているのだけれど…。
主人公ではなく、視聴者に奇麗とか可愛いとか萌えとか思わせない無様さ、これこそが失恋キャラの泣く意義ではないかと思う。そういう意味では、俺妹という作品はひたすら視聴者に好かれよう好かれようとする売春を合理とする売女アニメであるから、自分の指摘はそもそもが的外れではあるのだけれど。
的外れついでに、もう1点。
俺妹は、妹はブラコンでもなく、もっと言えば目が描かれないモブとして話の進行上たまにでてくる程度で、黒猫やあやせと登場させるための口実にすぎず、黒猫とあやせと地味子の3人がそれぞれに京介と関係して京介は黒猫かあやせを選んで完結、だったほうが面白かった、好みであった。そうするとあやせの立場や動機の前提を変更する必要があるのだけれど、それこそどうとでもなる要素だろうし。
近親相姦ネタをやるなら深刻でなければならないと思う。
個人的には、俺妹よりも
恋風こそ売れる(買う)べき作品だと思うが、俺妹が受けたのは
軽薄だからこそ。俺妹の面白いとされる点が自分には気持ち悪いことばかりだったので、それもまたしょうがないのだけれど。