関連記事その日は、台風による記録的な暴風雨だったという。
雨音は聴こえるが耳障りではない。
風の響きも、どこか安まる。
そういえば、あの時も台風で大変だった。雨がいつから降っていたのかは思い出せない。気付いた時には、いや、あの時は夢中で天気など全く気に止まらなかった。一時でも彼を忘れた自分を、そして、彼を想った麻子すら傷つけた、あの日。
思い出せばあの時は雨だった、程度のことなのに、雨の日は、台風の時期はいつもあの日を思い出す。
私は何も持ってない、けど大切な全てに囲まれて生きて来た。
麻子の信念が。彼の眼差しが。
いや、雨じゃない。雷だ。
そう、あの高く低く恐ろしい雷鳴を耳にするのが心地よくなったのはいつからだろう。
身動きすらとれない暴風に包み抱かれ安らぐようになったのはいつからだろう。
前に孫が「ばぁば、はんばっが」と拙く言っていたのを聞いて、私は孫を抱いて泣いた。
今でも「ハンバーガー」は思い出す。
私が好きになる人は、みんな、本当に口が悪い。
麻子も彼も、そして――ちゃんも。
ふふ、「好きな人」なんて言ったら――ちゃんはきっと凄く怒るだろうな。
――ちゃん、ごめんね。お嫁さんになるって私が言ったのに、今はこうして子にも孫にも囲まれて、私だけ幸せ。
でも、みんな大好き。
麻子も彼も、そして――ちゃんも、ずっと大好き。
アニメ映画もリンゴもマフラーもケーキも自転車も、全部一緒に出来なかったけど、風が吹くたび、雷が落ちるたび、私は「――ちゃんと一緒にデートだわ」なんて嬉しくて、つい、泣いちゃった。
麻子はそれを見るたびに、彼と一緒に私を励ましてくれたわ。
私、もう何も怖くないの。
あの日から、私にはずっと――ちゃんが一緒にいてくれたんだもの。
私、ずっと――
好きだよ…
…大好き。
※
台風は上陸するようで暴風雨は強まるばかりであった。
大きな雷鳴が響き、あたりがふっと暗くなる。
停電だ。
孫は泣き出し、息子と娘は停電の様子を見るため孫を連れて部屋を出た。
雨音は強まり部屋は暴風で振動している。
――静かだ。
突然、不思議と雨音も風音もやみ、真っ暗な部屋を静寂が包み込む。
そんな部屋の中で、真由子は、何故か、笑顔だ。
真由子は、笑う。
「ありがとう、とらちゃん」
雷鳴。
今迄に無かった、あらゆるものを奮わせ響く巨大な雷鳴が。
近い。
一筋の稲光が、真由子しか居ない筈の真っ暗な部屋に『虎に似た金色の獣』を映し出す。
しかし、一瞬であたりは暗転。
パっと明かりがつく。
どうやら電柱や電線ではなくこの家だけだったようで、停電を直した息子娘が部屋に戻って来た。
孫が駆け寄り「ばぁば、はんばっが」と甘えてくる。
息子が孫を抱きとめ母の、真由子を見ると。
真由子は、笑っていた。
井上真由子は笑顔で、笑顔のまま――
真由子の手の指には、見慣れる糸が結ばれていたという。
金色に輝く、糸。
それはまるで髪の毛のようでもあり、孫はそれに手を伸ばし「はんばっが」と無邪気に笑っていた。
(了)
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