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フィクションとノンフィクションの境目 このエントリーをはてなブックマークに追加

※F=フィクション||ノンF=ノンフィクション

AAAIAUAなぜドキュメンタリーは「マジ」なのか。なぜドキュメンタリーは「マイノリティ」を見つめるのか。なぜドキュメンタリーは「重い」のか。
AAAIAUA親戚の葬式に向かう電車の中で、時間を持て余して週刊誌を買う。グラビアページを捲ってしまう。親戚の死・おっぱい。死・おっぱい。 ー 世界平和を心から願って涙を流した数分後、職場の嫌いなヤツの事を考えて、あいつ死ねばいいのに。と思う矛盾と胡散臭さ。そういう視点が大事なんじゃないかな。
AAAIAUA白でもなく、黒でもなく。問題を突き詰めて考えれば考えるほど、全てはグレーへと発散していく。ある人間を見つめれば見つめるほど、割り切れない感情が湧き出ていく。その過程をあくまで「個人的」視点で記録し編集する。
AAAIAUAそこに圧倒的な(時には病的な)作家の熱量が存在し、観客には、感染したウイルスのように記憶に残る映像体験。それがドキュメンタリーのあるべき姿なのではなかろうか。ドキュメンタリーでスッキリしてはいけないのかもしれない。割り切れないモヤモヤを提示する事が、大切なのかもしれない。
AAAIAUAそういった定義と文脈から考えると、華氏911はドキュメンタリーではないし、The Coveもドキュメンタリーではないのかもしれない。ドキュメンタリーは、プロパガンダであってはならないとするならば。ドキュメンタリーは批評的であっても、否定的であってはならないんじゃないか。
AAAIAUAフィクションとノンフィクションの境目は何処にあるのか。劇映画とドキュメンタリー映画の境目はどこにあるのか。その境目をマジに議論する事自体が、実はナンセンスな場合はないだろうか。そんな境目は元々無いのではないか。それは国境線と同じようなものではないか。
AAAIAUAムーアやスパーロックが有名で、The Coveがアカデミー賞を取る。白黒ハッキリさせる。それがアメリカだけど、日本のドキュメンタリスト達が模索してきたものは、実は真逆の表現なんだろうか。アメリカのドキュメンタリーと日本のドキュメンタリーとは、言葉が志向する概念が異なるのかも。
shu_tome@AAAIAUA 名前と実像の関係を認めるのがノンフィクション。逆がフィクション。誰かにとって都合のいい演出(編集)された記録という点では同じ。
AAAIAUAもう少し分かり易く教えて下さい。名前と実像を認める。とは?RT @shu_tome: @AAAIAUA 名前と実像の関係を認めるのがノンフィクション。逆がフィクション。誰かにとって都合のいい演出(編集)された記録という点では同じ。
AAAIAUA@shu_tome あ、関係が抜けました。
shu_tome@AAAIAUA 役者が役者の名前とは別の役名で出演してるのを撮影者と役者と観客が了解してるのがフィクションで、役者が(芸名でも)自分の名前で出演してるのがノンF。役者を会社や国や政治などに置換してください。(1/2)
shu_tome@AAAIAUA 役者のインタビュウでも演出や嘘はありますがノンFの場合には観客が知られる情報の責任が誰にあるのか明確にする必要があります。編集による誤解や評価なら撮影者、発言(行動)そのものへの誤解や評価なら役者。虚実ではなく責任者の所在の違いがFとノンFの区別かと。(2/2)
shu_tome@AAAIAUA 文字数のため一部の名詞を略しました。すみません。
AAAIAUA@shu_tome 「本人」であるか。と、「責任の所在」という事ですね。前者は成る程素朴にそういう分け方が一つあるのかと勉強になります。後者がまだ掴めません。「映画」に関しては、フィクション/ノンフィクション問わず、全責任は「監督」にあると思いますが、如何でしょう。
shu_tome@AAAIAUA の複数ポストの通り僕も情報の虚実は実質判断出来ないと思います。観客が何世代か交代したらそれが映画かニュースかの区別も難しい記録ばかりでしょう。賛辞も批判も監督が受けるのは当然ですが発表できたのは監督ではなく製作者(会社)の仕事なので何とも言えない気がします。
AAAIAUA@shu_tome そうですね。製作会社ありきの企画で作られる映画に関しては、責任はプロデューサーにもあるのだと思います。自主製作になると、また難しい事になっちゃいますが…ともあれ、新しい視点を提示して下さりありがとうございます。また何かあればバシバシ突っ込んで頂けると幸いです!
shu_tome@AAAIAUA 作って見せる側の嘘(演出)に問題があるのと同様に、我我観客も実態を調べず考えず監督など矛先を単純化してる問題があります。ほんと人間ってやつは…ってもんですよねw こちらこそ色色と刺戟を受けたポストでした。ありがとうございます。

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映画 [ 2010/06/20 08:24 ]