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アニメ「ブレイクブレイド」の演出と背景と音楽が素晴らしすぎる このエントリーをはてなブックマークに追加

親友(中村悠一)が主人公の父親をほめて、それに比べて自分の限界をしみじみ語ると、主人公は窓から車の外を見て頬杖をつき無言のまま、カメラは主人公のアップショット、ただし後ろ姿を。
また、ヒロインが主人公の機体をいじりながら戦場へ向かう主人公を気にかけての会話で、主人公が自分の戦闘能力でヒロインを安心させるため、また自責の念から「2人殺してる」とヒロイン言うのも、主人公はヒロインじゃなく手元のメモを見ながら簡単に、そしてヒロインは主人公の肩に手が届く距離だが斜め後ろで主人公の顔が見えず、カメラは主人公の後ろ姿をアップショット
これだよ!こういう作品が見たかった!
というか核心の時に顔を見せる作品が多すぎる。

ヒロインの本音、恋愛感情を見せるデレを、ヒロインの主観(1人称)でヒロインのデレは声の演技だけで、映像として見えるのはヒロインから見た主人公。
だから、ヒロインの台詞に対する主人公の「え?なんだって?」にも無理が無いし、主人公の本意が全く見られないから、主人公のキャラ性にも深みが増す。
カメラが1人称である必要は無いが、え?なんだって?が有効なのは、ヒロインと主人公を等しく扱う3人称ではなく、ヒロイン視点での隠した様、あるいは主人公視点による微かで見逃しちゃう相手の挙動、のどちらかに寄ってる場合に限る。

修羅の門海皇紀の作者、川原正敏がよくある演出で、キャラが核心を明かすとき、あるいはキャラの凄さをや決め所で、正面や斜めではなく、顔を見せずに後ろ姿で見せる。

そもそもブレイクブレイドを見た理由は、海皇紀と設定が似ていると聞いたからだが、演出も似ていて楽しい。

ロボットの戦闘も、殴るなり斬るなりかわすなりに、全身、地面と踏み込む足、正面じゃなくロボットの腰などの動きにあわせてまわりながら見せるコクピットとパイロット、そして行動の結果、とそれぞれが連動した結果というカット割をしっかり見せてくれて、これ以上ないくらい教科書通り、しかし中中みられない丁寧な構成で素晴らしい。

音楽や背景も素晴らしく、作品の個性としての好き嫌いは別にしても、あの機動戦士ガンダムUCよりも金と手間がかかっている感じがする。
たまに静止画演出だったりキャラがホストなのが残念だが。
なぜ、こんなマイナ作品にここまで金をかけられたのか全くの謎だ。
あと、この中村悠一が実に素晴らしい。
シドニアのサマリ(田中敦子)ばりに浮いていて、保志や神谷が全く張り合えていない。
感想(考察) [ 2014/05/20 21:20 ]

「アナと雪の女王」はただの気持ち悪い萌えアニメなのに一般的な名作アニメとして取り扱うからおかしいことになる このエントリーをはてなブックマークに追加

アナと雪の女王が賛否両論で盛り上がっている。
そして、個人ブログでも評論家でもわかりやすくするために男女論にして落ち着いている。そうしないと売れないからねw
アナと雪の女王が面白いかつまらないか、好きか嫌いかはそれぞれの自由な感想なので、そこには触れないし、問題はそこではない。
アナと雪の女王は、ラブライブ(萌えアニメ)と変わらない、ある側面の願望を具体化しただけなのに一般的に素晴らしいと誤解されてる、させてるのが悪質なんだよ。
ラブライブは男の俺でも気持ち悪いと思うし、たいがいの女にとっても気持ち悪いだろう。
その気持ち悪いと思ってるいい歳した女が、子供以外がアナ雪だけを「女の作品」として過剰肯定してるのを見ると「大丈夫?」と感じる。

太田光や伊集院光にはわからない、つまりオッサンには見えない、女の子の革命。


↑を読んで、アナと雪の女王の駄目なところを、より明確に認識出来た。
自己満を「気高い」と言ってるから結果馬鹿に見えるし、自由を得て言うのは「自由って素晴らしい」であって「自由をどう活かすか」に至ってない。
だから駄目なのよあれは。
ガンダムUCが、戦争の深刻な状況と浅薄な動機で成り立ち絶望するも戦わざるをえない若者(主人公)と、曖昧と矛盾を否定せずに抱え込み、しかし次世代には伝えたくないと思うおっさんと、視覚的に派手で格好よく楽しみながらも描写にはある緻密さがあり作品の装飾が思想を支えた体現している、そういうすげえドラマを期待したら、ガンダムという名前だけがやたらと持ち上げられて、おっさんは全員精神的に思春期で、無限だが曖昧な精神とは逆に、有限だが明確で利用価値がある機械(ガンダムなどMS)との対比があるのかと思ったら、視覚的な描写も物語的な核心もただの根性論で何とかしちゃってる大雑把。
自分がガンダムに興味なくて普遍的な名作を求めた結果だから、あるいはしょうがないのかもしれないが、アナ雪も同じような失望だった。
男にとっての女、お姫さまじゃない、とかテンプレ絶賛もされてるけど、「私は自由」と言うだけで「自由だからこれを成し遂げられる」をやらないなら「王子様と結婚して御姫様は幸せになりましたちゃんちゃん」と同じで王子と御姫の結婚生活をやらないのと変わらない。
お前ら、自画自賛するほど何も変わってねえぞ?
と見えてしまう。

【ウィークエンド・シャッフル】続・宇多丸vs花男 pt.1【宇多丸】


↑かつて映画花より男子は、男にとって強姦モノAVと同じく、願望でしか成り立ってない作品で倫理だ道徳的なことをそこまで軽んじていいのか? それを好きなのは自由だが一般的であることのように扱うのは問題だ、というような議論をして、結局番組上の女代表は「願望だから良い」だった。これは番組でた個人が浅薄だった、人選ミスであることが原因だけれどw

アナ雪とSAOは同質だと思う。
何となく経験的に知ってる肯定的価値観をまとめたらあっぱらぱーだけど面白い程度のものを、ディズニーゆえに過剰反応しちゃうんだよ。
今じゃマーヴェルの親会社だし、所詮は商業の1企業にすぎないとちゃんと認識すれば、アナ雪も微笑ましい作品じゃん?w

もしも社会的な意味でこの作品を話すなら、女はいつまで自分を不自由だと思いこんでんだ?
自由を得るには自分から動かないといけない、という自明を説明しただけで名作扱いって、結局は女自身が稚拙と自分で宣伝してるようなもんじゃん。
ディズニーが不都合な異性を排除して成り立つ萌えアニメと同じ流れになってるのが気持ち悪い。
自分は、歳のせいもあって萌えアニメにもなじめなくなったし、それと同じくアナ雪も気持ち悪かった。
ダークナイトに燃える男と、アナ雪に感動する女は、対比としてわかりやすく、プロレスやるにはいいんじゃないかね。
感想(考察) [ 2014/05/02 11:39 ]

【シドニアの騎士】3話と4話の感想 このエントリーをはてなブックマークに追加

  • 酷い。
  • 原作じゃ四天王なんて設定無かったし「四天王達」と言ってるのに写ってるのは4人だけ。使い捨ての雑なフラグだけじゃなく、そのフラグのための台詞も雑。
  • 赤井の強さは谷風は無関係だから赤井の独立性が認められて良かったのに、しかも、谷風の挙動は重力祭りで海苔処理に見せただけで奇居子戦では余裕ぶっこいて自滅。酷い。
  • 水族館をこの時点でやったということは星白とのあれはやらないフラグか。
  • 機密の追加設定が無意味。谷風いじめの動機に機密は不要だし、赤井が谷風に話す動機も機密は無意味。
  • 最強とされる赤井達の扱いが雑なせいで他のキャラの強さも問題の深刻さもいっきに無くなった。
  • 曲の使いかたが雑。曲数が少ないのか、1話内で同じ曲が流れ過ぎ。かつ毎回同じ曲が流れるから処理られてる感じがして盛り上がれない。
  • 4機掌位や出撃のカット流用が酷い。3Dなんだから流用するならするでカメラ位置を変えろよ。
  • 回想がうざい。ただでさえ1クールには入りきらない原作量があるのに、話の進行度や人間関係の進展に全く貢献しないふりかえりが多すぎる。また、前回までのあらすじ尺もとりすぎ。
  • 海苔と谷風の確執を水増しすぎ。谷風は自分と仲間さえ無事なら良い、ある種人間離れした聖人的なのに、海苔の嫉妬に対して人間として一喜一憂してるので台無し。
  • 艦長すら説明台詞とフラグ乱立で読者にすら味方なのかわからない油断ならない切れ者っぷりがまるで無い。
  • 安全帯のモブ場面が追加されたことにより、谷風、星白、イザナの3人だけがどうしてあんな良い場所で3人きりなのかという不自然さが出てしまった。「重量オーバーだ」も北斗の拳のトキみたいなギャグになってる。
  • 谷風の独白の後ろでごちゃごちゃ喋る勢威の通信は良かった。
  • サマリの田中敦子が別格すぎる。初登場で弦打の名前を呼ぶだけの第1声だけで声の通りが1人別格だったw
  • 星白が生きてるのは明らかなので、原作と違い星白がある程度谷風の挙動を通信などで見知って反応する場面の追加は良かった。
  • 全体的に、構成の変更ではなく、無駄な改変が多すぎて酷い。アニメの尺にあわせた要素が雑すぎる。

感想(考察) [ 2014/05/02 06:51 ]

【シドニアの騎士】1話と2話の感想 このエントリーをはてなブックマークに追加

2話Aパートを見て拳を握り声をあげてしまった。そして作ってくれてありがとう、と感謝してすぐにBDを予約した。
1話の時点では、原作を既知で面白い作品だと知っているのに、これアニメ初見に面白いと思ってもらえるのだろうか?と疑問だった。
キャラの画質が3Dの良さより悪さを感じたし、キャッチィな展開をアニメ1話向きに構成も練り直してるがそれでも原作の雰囲気そのままにどこか突き放した仕上がりだし。

このキャラが出たから、何巻から面白い、という作品ではない。段階を踏んで面白くなる作品。
密室の扉をあけたら素晴らしき眺望が、ではなく1段1段は浅く踏み上がっていくと気づいたらすげえ高い場所にいてすげえ景色が見える、というタイプの作品。
1話の段階で、少なくともPV詐欺じゃないのはわかったので、
売れないのわかってるのに、よくぞここまで仕上げてくれたありがとう。

原作からアニメで構成の変更


構成はアニメで大きく変えてきた。
漫画を知らないと問題ないものもあるし、漫画を知っていても問題ないのもあるし、漫画を知ってると違和感がある、アニメのほうが良いじゃんというのもある。

原作を知っていて違和感があるのは長道のいじめ。原作では出撃前に単純に互いに初見故の異物排除としていじめられていて、出撃して奇居子との戦闘経験により周りに受け入れられるが、アニメでは奇居子戦闘後にいじめられ、しかも恐らくその帳尻あわせのためか原作には無かった機密(奇居子との戦闘を)扱いで
赤井達の扱いが2話の時点であの程度、登場のしかた変更も間違ってるとは思わないが、ただ四天王はあまりにやすっぽくはなかろうか…w
原作だとユハタの登場は四天王後で、しかも登場時からデレていて酷いが、アニメでは四天王と同時に登場して、デレの理由を強引ながら補強していて良かった。
2話の段階で構成変更が素晴らしかったのは、山野栄子。
原作では一応山野が長道を嫌う理由が描かれるが、アニメほど出番もなくコマも少なくあっさり殺される。
前回までのあらすじが、ただの反復じゃなく、1話の映像をアバンで短く要約しながら、本編で山野栄子の事情を原作と同じく描きながら、原作には無かった短いながらも数カットの独白が追加されたことで初見にわかりやすく、かつ原作にかけた劇的演出の振りにもなっていた。アバンの編集具合も丁寧だと思ったし、尺稼ぎというマイナス要素が、これ見よがしの劇的演出ではなく、原作にある要素をそのままに原作にはない間と多少の場面追加によって原作厨の粗探す玄人とアニメ初見の素人をも巻き込めるだけの映像演出の両立を果たしていて感動した。
原作だと奇居子の山野模写はまんま人間的で、長道もゼロ距離戦闘で絵的にロボットが女を強姦してるような感じに意図的に演出されてた。
アニメでは倫理的な問題と奇居子の化物然をとって、長道が遠距離攻撃になったかわりに奇居子の声やカメラの動きやらすげえ迫力で、この山野奇居子演出は原作を超越していたと思う。
何より、重質量砲。
漫画では出来ないカメラのパンによる複数の動きを1カット1画面で流して見せる演出が素晴らしく、漫画だと作風が淡々としてるのもあり、コマ割による要約だったのが、奇居子に挑み返り討たれ星白と海苔など仲間に助けられ7機掌位で全員必死に逃げるのとすれ違い重質量砲が奇居子に命中。この1カットで拳を握り思わず「すげえ」と声が出た。
ヒックとドラゴン以来の戦闘、世界観の説明と関係の変化と物語の展開を集合させた無駄のない見せ場。作ってくれてありがとう。

生体尿管カテーテル


原作を知ってるとアニメ1話でやってないとおかしいので、これが無かった時点で原作機読者は冗談半分で「クソアニメ」と言っていたが、2話でしっかり回収してきて嬉しかった。本作自体が萌え媚びが酷いのだが、世界観の説明と補強の中にこういう萌えがあるのは良いと思う。


音楽


劇中曲は素晴らしい。サントラが特典じゃなく単体で発売(TVアニメ 「シドニアの騎士」 オリジナルサウンドトラック)するので予約した。
曲調も狙いも違うがダークナイト的なメロがありながらメロというほど主張せずにリズムの最高音がメロっぽく聞こえる程度におさえた感じで、アニメを見ずに曲単体で聞いたら恐らく退屈だろうがアニメを見てると恐ろしく作品にそった素晴らしい仕上がり。
OP曲は酷い。原作を読んでた時点で、ノイズィでメロがないインスト4つ打ちを想像してたので、曲調はともかく、音色のしょぼさと歌手の低音の声の出てなさ(音程ではなく歌としての声という意味)にがっかし。



感想(考察) [ 2014/04/22 19:07 ]

【未確認で進行形】素晴らしい物語の要素をスタッフが1つ1つ無視して作品を自殺においこんだ最終回 このエントリーをはてなブックマークに追加

白夜が小紅の腕を掴む場面。
掴む瞬間がなくて、腕をのばしきって手が見えない構図で、多分動画を省いた大人の事情なんだろうけど、酷い。小紅の手が画面から見えなくなる瞬間に白夜の腕が伸びきり、小紅の手首あたりを掴んでカメラは少し遅れてそれをパン。動きの差、時間を感じる演出、これは基本でありこれをやらないならこの構図、場面に意味はないのに、この場面をやらせるために物語性や段取りなんぞ無視して小紅に放浪させて、無意味に崖際に後ずさりさせて、そして作画はしっかりしてるけど、その状況を成り立たせる物語も段取りもないから何の驚きも感動もない落下する小紅を助ける場面。
人格的にも身体能力的にも完成されているように見える白夜が、最終回で小紅を助けきったことで、ようやく過去との違い、表向きな態度とは違う成長を示す、という素晴らしい構成の最終回なのだが、その文字通り白夜の傷となっている顔の傷を、結局見せない。
かつての過ちと同じ過ちのようでいて、過去があるからこそ今度は違う、というのを、小紅を助けるために白夜が走って髪が乱れている一瞬だけ傷が露出して同じだけど違う、という視覚的な演出をすべきなのに、しない。
あるいは、小紅の腕を掴んだ瞬間、小紅が見上げると、小紅を掴んだ反動で少し髪がなびいて、白夜の傷と、それによって見えない右目が小紅と視聴者にむけて露出する。
これだけで5億点だったのに、最終回を盛り上げる人間関係の動機、物語を無視して見せたい場面の切り貼りで処理ってる酷い終わり方だ。

10話で嫌な予感はしていた。
それまで、小さな不満はあれど、作品全体としては雰囲気も演出も狙い通りで、作品そのものは仕上がっていた印象だったが、これが台無しにした。
作品にとって1番大事な、常時デレのようでいて核心を許さなかった小紅のデレ回だったのに、作品の個性も、作品を問わず共通する物語性も無視して処理されるシャフト演出。
小紅と白夜の2人だけの空間を視聴者が垣間みてる、という場面も、小紅が白夜を無視して視聴者に媚びて見せる過剰赤面と正面構図。ヒロインを売女にした10話の演出。

ところどころ音楽を使わずに情緒面を盛り上げる演出が良かったけど、それを台無しにする気持ち悪い挿入歌とか、これは好みもあるから何とも言えないけど。
とにかく、過去の傷という悲しみに支えられた現代の些細な喜び、という設定でありながら、その過去の傷は説明しても物語の基盤とはならず、演出としても無視して、だけど悲しみを超えた感動的な場面を視覚的にだけやろうとして破綻している。
ロリ小姑とか姉とかはともかく、そういうとこで釣っても小紅のキャラ的に、もっと萌えに媚びずにちゃんとドラマだけをやることで自然と萌えられて、かつちょっとした萌えもまた物語を補強していく要素に出来たのに、それをせずに、ちゃんとしてるようで全部を処理ってきた、これも現代のよくある売女アニメだった。残念。



感想(考察) [ 2014/03/31 23:57 ]