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議論に対する無理解と誤解 このエントリーをはてなブックマークに追加

議論という名詞,意味,概念が誤解されていると思う。それが悲しい。

第1に議論は議題(話題)を選ぶと考えられている

例えば、政治や科学などの虚実を話せば議論で、うまいチャーハンの作り方は雑談である、と。
甚だしい誤解である。
そもそも議題とは変数xであり好きな数字(=議題)をあてれば良い。
観た映画、職場で受けた差別、読んだ漫画、死刑制度,etc。
議題xに対して甲乙2つ以上の意見(方法)が挙がり比較,折衷,改善,結論といずれかを果たすのが議論であって、議題の中身は何であれ対応する。
チャーハンにおいて卵を使うか使わぬか、使う利点と使わぬ利点、例えばその比較だけでも議論である。

第2に結論が無いと不毛であるという誤解

そもそも言葉が、自分から自分以外に,自分以外から自分に、情報を共有するために作られた概念であり、結論も時間が流れ続けるからには経過にすぎない。
数字を計算式にしか使ってはいけない、と言うのと同じ愚かさではないか。
たまに耳にする小説や漫画は作り話だから無駄、と言う話にも通じる。
その考えの是非ではなく、話(言葉)とは自分以外の人種,性別,世代など未経験で経験しえない情報を獲得できる道具であり、自分以外の要素を獲得するすべである。
議論に結論がなくとも得られた情報は幾らでも応用できる。
結論が出ないと不毛と言うのは、その場で得た情報の前提を踏まえず後に展開させない思い上がりだ。記憶も記録も働かせずこれまでとこれからを無視したそれは雑談であり議論ではない。雑談を否定しているのではなく議論と雑談の比較である。

私は議論が大好きだし、議論以外の会話はしたくない、とは大袈裟だが[話す聞く]と言う行動は手軽であっても気軽ではない、自分以外の[時間=人生]を消費していると自覚すれば自分と相手の[時間=人生]無駄にせぬよう自然と雑談ではなく議論になる筈なのだが。
馬鹿話は大好きだが無駄話が大嫌いだ。
誰も彼も共感を求める割に説明につとめない、それでは余りにも悲しかろう。

以上はこれまでの経験に加えて特にここ数日ufionで目の当たりにした「議論」という言葉,文字に対する無理解あるいは誤解に腹が立ったので書いた。
議論の定義は幾らか変化するのは事実だが、そもそも議論とは何かと1個人として定義していないにも関わらず嫌悪する人が余りに多くて嘆かわしい。

未分類 [ 2010/12/22 23:31 ]