ディーふらぐを見てると、こういうの昔はよくあったな、自分の世代だと
School Rumble<完> (少年マガジンコミックス)かなと。
スクランは結局世代をまたいだ作品にはなれず、ツンデレのテンプレとも言える沢近は今じゃろくに名前もあがらない。
スクランは恋愛関係は男Aに対して女A、男Bに対して女Bとカップリングを複数だした上にそれぞれに三角関係を見せたり、手数で勝負してるわりに、その関係に対する考えも無しに描かれていたので、最後が酷かった。
ディーふらぐは恋愛萌え関係は主人公1人に集約する、つまりハーレムもの。
それでいて、優柔不断とか主人公特権でもてるのではなく、鈍感じゃなく指向としてまだ女に興味のない、ある意味で子供であり、それでいて人間関係には能動で明確な意思を持つ。
それに、読者のための女キャラであっても、主人公に対して全く恋愛感情が無く成り立っている関係もあるし、そもそも作者が恋愛だ萌えだのに興味ない感じが見て取れ、その上で一部のキャラが恋愛や萌えを担うことで抑揚があり、キャラの立場が明確で、読者に選ぶ自由がある。
テンプレ萌えキャラの高尾に抵抗なく萌えられるのは、そういうこと。
高尾が恋愛で敵対するヒロインは、露骨な赤面やキュンなど恋愛感情が描かれない。萌え描写がなく、それでいて恋愛感情を匂わせている。恋愛が作品の側面にすぎず、かつ絵柄もキャラも萌え作品なのに恋愛における表情や描写がエロゲ的な露骨もあれば、意地でもそういう描写はしない事もあり、軽い作品として割り切って恋愛を持ち上げずに扱っている。
別作品だが
最近、妹のようすがちょっとおかしいんだが。で主人公に惚れて性格が変わったのに、それを主人公に気づかれず、どうして性格が変わったかわかるか主人公に問いつめる場面があるが、その時に女の表情はアニメ的赤面もキュンもモジモジもない、真顔でさらっと描かれていて、凄く良かった。
高尾の1番人気は、設定から描写から計算されているものだし、読者との暗黙の了解ではあるが、その上で、高尾の番外編では、高尾の露骨萌え話の中でも、あえて主人公の姿を描写せずに説明台詞も極力なくして、高尾の表情だけで状況を表現する実に漫画として道理、しっかりとした演出を見せてくれる。だから安心して萌えられるし、視覚娯楽として充分なのだ。
8巻の時点で女を増やし過ぎ、かつ根本的にネタ切れも見られるし、10巻くらいで終わるだろうと思うのだが、高尾の失恋をどうするのか、凄く楽しみだ。
また、アニメでは今の時代に伊藤静のメインヒロインをくうサブヒロインという時代錯誤な配役も、需要不明のままにやりきっていて清々しい。
アニメでは決着がつかないだろうが、原作が完結するときには、羽川翼の最終回アバン号泣くらいのものを期待している。
そして、地味に小清水がいい仕事している。
あと、福山潤はずるい。