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嫉妬主義に思う このエントリーをはてなブックマークに追加

以下の記事に同意した。

日本は「社会主義」というより「嫉妬主義」

動かず遣らずに羨む人を見ると苛苛する。そこに至る経過を無視して結果のみ評価する、それは評価だけなら良いけど評価対象と自身が関係する場合には傲慢だろうと思う。
ピアノを弾ける人は弾けるようになるだけの練習を重ねているし、持てる人は持てるだけの所作があるだろうと。
自分の不明を改めずに他人の判明を貶めるのには辟易。
先日、知人と「話さないのは聞き手の能力とは無関係に話し手の怠慢だ」と話題になりました。そう言ったのは僕で、相手は「私は○○だから。良いね貴方はそれが出来て」との発言。
ちなみに○○には性別や年齢や個性や好きなものを代入してください。
言わない叙情もあるでしょうが、それは言葉を尽くし、あるいは共に過ごし、互いに知りえた結果であって、自分が何もせずに相手(周り)に求めるのは如何なものだろうかと。
漸う個人主義が標榜しはじめた時代に、未だ或る属性を引き合いにし、それでいて属するのを嫌うのは暴慢だと思う。
そして個性も打ち出さず属性に隠れる。
古い「憑きもの」信仰は、たしかに滅びつつある。しかしながら、本稿で垣間見たように、農村ばかりでなく、現代の都市生活者の、重層した形で帰属する複数の集団のそれぞれのなかにおいてさえも、衣を改めた「憑きもの」信仰がなおも生きているのをはっきりと認めることができる。人びとが他人を犠牲にしてでも自分自身の上昇を望み、その一方では他人の成功を苦々しく思い嫉妬を覚えるかぎり、広い意味での「憑きもの」はけっして人間社会から消滅することはないのではなかろうか。――以上、憑霊信仰論より引用
嫉妬や羨望は自身が歩み上る時のみ有効なのであって、それ以外は単なる差別と阻害にしかならない。いい加減、本邦はこの半端な憑物を祓うか熟すかはっきりすべきだと思う。

憑霊信仰論―妖怪研究への試み (講談社学術文庫) 小松和彦

Tags : 憑霊信仰論 小松和彦 社会主義 民俗学

感想(考察) [ 2008/07/25 15:26 ]